12/06/05 16:41:59.97 H7uoBfS50
>>741
なるほど。
11年間の間にユスリを企てたということかな?
>友五郎自身は連載途中の明治三一年一〇月二九日に逝去したとはいえ、遺族は、自伝中で友五郎が悪く描かれていることを憤っていたに違いない。
>生田目は学者であったばかりではなく、春雨亭主人の名前で芝居の脚本を書くなど、一般向けの仕事もしていた。
>以下は私の推測になるのだが、生田目は熊次郎に、『福翁自伝』での小野の不当な扱いに関して雑誌に福沢への反論を書くつもりである、
>などという約束をしたか、あるいは、咸臨丸渡米談の劇化を思い立ったので、そのための参考資料にしたい、などという口実を使って、小野家から友五郎の日記その他を借りたのだと思う。