12/06/05 14:04:26.49 H7uoBfS50
>>732
ユスリを行ったとは書いてないけど?
>明治三二(一八九九)年三月二二日と二九日に、生田目が小野家から友五郎の日記や書簡を借り出して、
>一一年後の明治四三(一九一〇)年七月一七日にその内の「弾劾一件」一一通を福沢家に寄贈した、という事実はこうしてはっきりしたが、問題はなぜそのようなことをしたのか、ということである。
以下推測と書いてある。
生田目なる人物が福沢家に手紙を持ち込んだ動機として福沢門下生に恩を売って学者として名前を後世に残したかった、と書かれていますが。
それならば福沢家が手紙を秘蔵しておく理由は?60年間も名前が消えていたわけでしょう。
生田目が手紙を借り受けにやってくるのも小野友五郎死後の翌年というのも怪しいわ。
>友五郎自身は連載途中の明治三一年一〇月二九日に逝去したとはいえ、遺族は、自伝中で友五郎が悪く描かれていることを憤っていたに違いない。
>生田目は学者であったばかりではなく、春雨亭主人の名前で芝居の脚本を書くなど、一般向けの仕事もしていた。
>以下は私の推測になるのだが、生田目は熊次郎に、『福翁自伝』での小野の不当な扱いに関して雑誌に福沢への反論を書くつもりである、
>などという約束をしたか、あるいは、咸臨丸渡米談の劇化を思い立ったので、そのための参考資料にしたい、などという口実を使って、小野家から友五郎の日記その他を借りたのだと思う。
平山先生はこう書いてますけど私の推測では福沢家が生田目なる人物を雇って小野友五郎の養子家から手紙を借り出し公金横領の経歴を消したかったのではないかと。
生田目なる人と福沢家の関係は書かれていないしいきなりユスリにいくなんて不自然だわ。
横領はともかく、洋書を経費でたくさん買い込んで塾の私物化したなんて倒幕後の明治なら賞賛されそうだし隠しておく理由がないわ