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(>>74 のつづき)
とくに、略奪については食料、家畜、財、などのみならず 「人」 そのものが対象となり
ました。日本においては室町時代以前から飢饉奴隷・犯罪奴隷という慣習が
存在しました。これらは、飢えている者に食物を与えて養った者は、そのものを
奴隷とする事ができるという慣習です。(犯罪奴隷の場合は、本来死刑にすべき所を
奴隷にすることで許してやるというもの) これらに共通するのは 「死ぬはずであるものを
救った場合、その命の所有権は救ったものに属する」 という考えで、したがって、
戦争においても勝者は 「死ぬか・奴隷になるか」 の選択を敗者に迫ったのです。
とくにこの時代は各地に奴隷市場が存在し、競が行われ人間が商品として流通して
いました。戦場において囚われた民間人は本国へと送られ、奴隷市場で売られるか、
あるいは開墾作業などの強制労働に送られたり、年頃の女性にいたっては、
村落の嫁としてばら撒かれたりしたのです。
また、海外へと輸出されることも多かったらしく戦国時代より後世の記録となりますが、
安土・桃山時代 (1582年) にローマに派遣された少年使節団の記録に世界各地で
多数の日本人が奴隷の身分に置かれている事実を目撃して「我が旅行の先々で、
売られて奴隷の境涯に落ちた日本人を親しく見たときには、こんな安い値で
小家畜か駄獣かの様に同胞を手放す我が民族への激しい念に燃え立たざるを
得なかった。」 という記述が残っています。 (つづく)