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「大阪の一隅に生きて七十年―私の総括―」上田等(創生社 2002年11月)73頁
吹田操車場へ乱入デモをし、岸部から国道を吹田に向かっていたとき、
デモ隊の後方からウィポン車に乗った茨木警察の一隊がデモ隊を
追い越して先頭に出ようとした。
これに対して火炎びんで攻撃を加えた。
警官は車から転げ落ち、田植えをしたばかりの田圃に逃げ込んだ。
火傷した警官が逃げられずに路上に転がっている。
デモ隊はそれを竹槍で突こうとした。隊長だった私はそれを止めた。
日本人は止めた。
朝鮮人は何を言うか、やってしまえと、ピストルも全部奪ってしまった。
日本人は巡査をやっつけろと火炎びんを投げたけど、
殺す気はなかったから、無抵抗になった奴を竹槍で突くことはできなかった。
朝鮮人は突いた。止めたら日本人は言うことを聞いたが、
朝鮮人は怒った。その差がいまだに分からない。
民族が違うからか。私の思想が中途半端なのか。
殺してしまってもよいという所までになっていないことは事実だ。
ビビった。その差というのが、いまだに分からない。
朝鮮人教育闘争のときにも、南警察署だったか税務署だったかを襲撃した。
あのときも、日本人は勝ったらそれで終わったが、
朝鮮人は頭を割るところまでいく。そのときもビビった。