12/01/19 02:20:16.91 u9WEtHwG0
>>76
日露戦争後、満州を日本が支配下に置くことでロシアによるアジア侵略の陸の防波堤とした。
清国時代の満州はまったくの未開地であったが、清国の支配層であった満州人の故郷であり
漢族立ち入るべからずの聖地であった。
故に清国の王族継承者を満州帝国の国王におき、アジアの理想国家として満州人だけでなく
日本人、漢人、朝鮮人などを入植させ日本政府の資金援助により農業・工業の発展を促した。
逆に清国領土であった、万里の長城(北京)以南を漢族の土地として解放した。
それを担ったのが中国国民党率いる中華民国であり、日本の協力の下に東アジアの植民地解放を
行うはずであった。
ところがロシアコミュンテルンの工作により日華事変が仕掛けられ、それに踊らされて満州に
山賊ゲリラを送り続ける(これもロシアの手引き)中国の暴徒に制裁を加える形で軍が動いた。
つまり日中戦争などというものはもともと存在せず、山賊の暴走という国境のいざこざだった。
ところがロシアの工作により日本軍がずるずると南下戦略を始めてしまったので・・・
一方中華民国はイギリスの反日工作に扇動され、本来日本と共同で植民地解放すべきところを
唯一の有色人種同胞である日本に牙を向けたわけだ。
中国人というのは金を恵んで貰くれる相手なら、それが100年来の親の敵であっても盲従し
敵の手足となって同じ中国人同胞や仲間である日本人を平気で裏切り生命財産を略奪する。
前振りが長くなったが
第二次世界大戦中の中国でイギリス(連合軍=国連)が日本軍掃討作戦のためチベットにも動員を
掛けたんだけど、チベットは日本は同じ仏教国であり自分たちは戦いを好まないと拒否したために
中国共産党によるチベット人大虐殺を平然とスルーした。
もっとも日本軍総統にチベットが参加していたとしても、知らん顔しただろうけど。