12/04/14 11:18:52.82
資格社会という.しかし,資格取得と人生の可能性は二律背反である.
つまり,資格取得には準備に時間がかかるから,取得資格をむやみに
増やすと,人生時間が減り,人生の可能性も減る.
その上,資格は所詮社会が作り出したフィクションであって,それを多くかき集めたか
らといって免罪符になったり天国への切符になったりするわけではない.
逆に人生の可能性を強調し,資格取得を一切せずに遊んでいても
,早晩苦しくなるだけである.ここから何が言えるかといえば,どこ
かに調和点があるということである.それがどこにあるか,厳密には
分からない.しかし経験則及び社会通念に照らせば,調和点の一つは
「大きな資格を適当な数だけ取る」ところにあるのではないか.大きな
資格とは,例えば東大卒とか司法試験合格とか国家Ⅰ種合格などである
.適当な数とは,人生を豊かにできる程度の数という意味である.
だから ,資格マニアが簡単な資格を40も50も取ったところで,社会的にも大した
意味を持たず,取得に多大な時間を費やした点で,適当とはいえない.
資格に関しては,大きなものを数個確実に取り,人生に一本の太い筋を
通すようにするのが一番賢いやり方ではないかと思う.
それをしっかりやれたら,あとは遊ぶべきだと思う.つまり,本を読ん
で頭を耕したり,社会が用意するエンターテイメントを楽しんだり,旅
行をするなどして精神世界を豊かにすべきである.
ところが現代人の中 には取得資格の数が人生の豊かさを決めると考えている向きがあり,有
象無象の役にも立たない資格を手当たり次第取っている.
しかしその先にあるのは豊かさではなく,無益な資格のゴミの山を前に茫然とする年
老いた自分の姿なのである.