14/03/22 23:26:59.02
単発質問で、僻地の廃屋神社のスレ立てんな!
籠神社スレで訊けば済む内容だろうが!
3:名無しさん@京都板じゃないよ
14/03/25 22:41:19.07
神道解釈では、漢民族(秦民族含む)の盤古神と国常立命で、国常立命は天之御中主神の化身と聞きます。
大宮売女神が合祀される伏見稲荷大社も出雲秦氏(大西氏)の宇迦之御魂の女神が祭神。
島谷氏の神社に共通する神社には、豊受大神が祭神で祀られ、豊は、古代中央氏族の蘇我氏を表すそうです。
これは、聖徳太子の称号を蘇我氏へ与えたことからだそうです。
蘇我氏の紀氏系統氏族には、古代波多氏がいます。
又、出雲大社には、素戔嗚尊を祀る素鵞社(そがのやしろ)と素戔嗚尊の子の宇迦之魂神を祀る、釜社(かまのやしろ)があります。
素鵞社は蘇我の由来なのでしょう。
そして、古代波多氏=出雲秦氏・・
要するに、幕府の命で惟宗島津氏の配下として出島管理をしていた島谷市左衛門と言う、後の小笠原諸島巡検使隊隊長の関係も
惟宗島津氏が出雲秦氏系統な件から、島谷氏が出雲秦氏系統氏族とまでは分かります。
具体的に、元伊勢外宮社家の島谷氏に、そう言った伝承・系譜図があるのかを知りたいですね。
4:名無しさん@京都板じゃないよ
14/03/25 22:46:33.65
大宮売神社の島谷宮司の親の神社が、播磨の氏姓発祥地の古式の新羅神社で
新羅大明神(素戔嗚尊)を祀る神社だったそうです。
5:名無しさん@京都板じゃないよ
14/03/25 22:59:57.57
そして、この江戸初期の島谷市左衛門が建立した小笠原諸島父島の大神山神社祭神・・
後の江戸時代中期の子孫、島屋市衛門が新田開発で大阪此花区島屋を埋め立て事業をし、建立した産土神社祭神が
天照皇大神なのです。
6:名無しさん@京都板じゃないよ
14/03/25 23:09:45.19
>>419の脱字訂正。
>神道解釈では、漢民族(秦民族含む)の盤古神と国常立命で、国常立命は天之御中主神の化身と聞きます。
神道解釈では、漢民族(秦民族含む)の盤古神とは国常立命で、国常立命は、天之御中主神の化身と聞きます。
7:名無しさん@京都板じゃないよ
14/03/25 23:19:20.76
籠目の社紋が六芒星なのは、古代の大陸秦民族が中東ルーツの古代ユダヤ人だったとの話もある。
ダビデの星・ソロモンの印、妖精世界との入口とも言われる。
8:名無しさん@京都板じゃないよ
14/04/03 22:44:28.85
古川淸治委員長講演
URLリンク(www1.kcn.ne.jp)
惟 神 の 大 道 (かむながらのおおみち) 十一月・秋季大祭 一月号・269号
惟神の大道(四魂具足の道)は、顕幽一貫けんゆういっかん(現界から、霊界に貫かれて不動の人生)の道であります。
初めに伊邪那岐命が、原人として魂を与えた島族(日本の第一先住民族)を産み、次に須佐之男命とその代々の御子神たち七代が、この一魂の島族を二魂の先住民族として同化された。
次にこの第二先住民族を、さらに大国主命系十代の神々により、三魂の第三先住民族へと同化されて、天孫降臨となります。
国譲りを経て、四魂を具えた邇々芸命系の神(氏之祖ノ神)が四魂の大和民族に同化せられ、我々が受け継いで敬神崇祖を実践し、四魂具足の行にぎょう 努め絶対道徳 (惟神の大道) を践み行く民族になるのです。
心に四魂を満ち充み みたす(常に四魂具足を思う)ことであり、自身に真心を確立するよう努めることです。
9:名無しさん@京都板じゃないよ
14/04/03 22:51:32.25
埼玉苗字辞典
URLリンク(homepage1.nifty.com)
島 シマ 斯摩、志摩、司馬は島と記す。
日本書紀・神功皇后摂政四十六年(応神天皇)条に「斯摩宿祢を卓淳国に遣す」と。
百済の卓淳(とくじゅん)は慶尚北道大邱の古名。
斯摩宿祢の使が百済王の肖古王(百済十三代、在位三四六~三七五年)に献上する。
後漢帝は朝鮮楽浪郡の南に帯方郡置く。
古代氏族系譜集成・坂上氏系図に「後漢帝―石秋王延(封東呉石秋県、至帯方郡)―昕(帯方大守。弟楯は百済上柱国)―昉(帯方大守)―曻(沂州司馬)―阿智使主照(応神天皇二十年投化、居大和国高市郡桧前村)。
鞍作村主等従ひ来る」と。
呉、司馬は百済国の内なり。クレ条参照。
坂上族は東漢直(やまとのあやのあたえ)、或は桧前忌寸(ひのくまのいみき)と総称され、同族百済人蘇我氏に軍事をもって臣従した。アヤ条参照。
扶桑略記・継体天皇六年に「大唐漢人案部村主司馬達止、此の年春二月入朝す」。
大唐(大加羅)の漢人(あやひと)は百済人、案部村主(くらづくりのすぐり)は鞍作の村長なり。
日本書紀・敏達天皇条に「鞍部村主司馬達等、其の女、島・善信尼と云ふ」。
司馬氏は島氏に同じ。
蘇我馬子(司馬宿祢、島大臣)―蝦夷―入鹿(鞍作)あり、蘇我族は島氏にて鞍作部の支配者なり。
扶桑略記・推古天皇元年に「蘇我大臣馬子宿祢、飛鳥の地に於て、法隆寺を建て、島大臣並百余人、皆百済服を著す」と見ゆ。
蘇我氏の本貫地大和国高市郡曽我庄(奈良県橿原市)の曽我川は別名百済川と称す。
当地方は島岡、島田氏等が多い。
東国に於いて、島崎、島田、島根、島野、島村等の百済渡来人島族は武蔵国に多く存す。
島田、島野条参照。出雲国に渡来した島族は伊勢国・志摩国(三重県)へ移住す。
神武天皇東征の頃に伊勢津彦あり。
志摩国は島津国と称し、国造本紀に「島津国造。成務天皇朝、出雲臣の祖・佐比禰足尼の孫出雲笠夜命を国造に定め賜ふ」。
「武刺国造の祖神・伊勢都彦命」と見ゆ。
出雲臣族の武蔵国造の祖先は伊勢地方より島族を率いて武蔵国へ移住す。
足立郡島村(大宮市)は島津郷と称す。
津は人や物の集まる所の意味で島族の集落を島津、島ノと称す。
10:名無しさん@京都板じゃないよ
14/04/03 22:52:02.77
小名島は、埼玉郡道口蛭田村、市野割村、久米原村、百間領須賀村、広田村、杓子木村、足立郡沖之上村、比企郡越畑村、幡羅郡間々田村、葛和田村、西別府村等にあり。
各市町村に存す。
新潟県栃尾市五十戸、見附市三十七戸、福島県相馬郡小高町二十戸、相馬市五十七戸、原町市三十戸、郡山市四十戸、岩手県花巻市三十三戸、青森県西津軽郡深浦町十七戸あり。
・
・
島谷 シマタニ 各市町村に存す。島根県松江市十五戸あり。
嶋谷 シマタニ 川口、志木等に存す。
嶌谷 シマタニ 浦和に存す。
・
・
島谷 シマヤ 各市町村に存す。長野県埴科郡戸倉町十四戸、青森県上北郡野辺地町十七戸、西津軽郡柏村十戸あり。シマタニ参照。
嶋谷 シマヤ 与野、久喜、越谷、草加等に存す。
島屋 シマヤ 越谷に存す。
11:名無しさん@京都板じゃないよ
14/04/03 22:57:55.10
十握剣から生み出された人間が・・島族
12:名無しさん@京都板じゃないよ
14/04/04 18:17:07.16
伊邪那岐命の十握剣から生み出された人神が、島族。
秦=新羅=斯盧=斯麻=斯摩=斯摩宿祢=島根県=伊勢志摩の志摩、島族。
武寧王、幼名は斯摩・・
惟神・・惟宗・・島津。
>神功皇后摂政四十六年(応神天皇)条に「斯摩宿祢を卓淳国に遣す」と。
これは、秦族と倭族が、古くに、複雑な渡来との同化を果たして来たから故なのだろう。
斯摩宿祢が百済へ派遣され、そこで、秦族と縁を結び、帰国。
大陸との接点で、後の渡来を招き入れる縁となったのかな・・。
13:名無しさん@京都板じゃないよ
14/04/06 21:27:35.59
>>11訂正。
豊受大神の祖神、火之迦具槌神からみたい・・。
豊受大神=国常立命=天之御中主神は、渡来系島族の島津の祖が秦氏で秦が漢族だから、盤古=で、国常立命と言う観念だな・・
14:名無しさん@京都板じゃないよ
14/04/10 19:41:35.40
伊勢神宮の中臣氏の本姓が伊勢志摩氏で島氏・島族だったのなぁ・・
15:名無しさん@京都板じゃないよ
14/04/10 19:56:43.40
伊勢津彦 - Wikipedia
URLリンク(ja.wikipedia.org)
伊勢津彦(いせつひこ)は、『伊勢国風土記』逸文内に記述される国津神で風の神。
元の名を出雲建子(イズモタケコの)命、またの名を櫛玉(クシタマの)命
三韓征伐 - Wikipedia
URLリンク(ja.wikipedia.org)
神功46年以降[編集]神功46年以降は『百済記』が構文されている。
神功46年(246年または366年)3月1日、斯摩宿禰を卓淳國に遣す。
卓淳王の末錦旱岐は、百済の久?(くてい)、弥州流(みつる)、莫古(まくこ)らが日本に朝貢したいと斯摩宿禰に伝えた。
斯摩宿禰は、爾波移(にはや)と卓淳人の過古(わこ)を百済に遣した。百済の肖古王(近肖古王)は喜んだ。
王は財宝を贈り、また蔵をみせて、これらを朝貢したいと爾波移に告げ、のち志摩宿禰らは日本へ帰還した。
翌年4月、百済は日本に朝貢した。
神功皇后49年(249年または369年)3月には、神功皇后将軍荒田別(あらたわけ)及び鹿我別(かがわけ)を卓淳国へ派遣し、
新羅を襲撃しようとするが、兵の増強が進言され、百済の将軍木羅斤資と沙沙奴跪(ささなこ)と沙白(さはく)・蓋盧(かふろ)らに合流を命じて、新羅を破った。
比自[火+保](ひじほ)、南加羅、喙国(とくのくに)、安羅(あら)、多羅(たら)、卓淳、加羅の七カ国を平定した。
さら西方に軍を進めて、比利(ひり)、辟中(へちゅう)、布弥支(ほむき)、半古(はんこ)の四つの邑は抵抗もなく降伏した。
神功51年(251年または371年)3月、百済は久?を派遣し、日本に朝貢した。
神功52年(252年または372年)9月10日、百済王は、百済と倭国の同盟(済倭同盟)を記念して神功皇后へ七子鏡と七枝刀を献上した。
なお、七支刀に彫られた「泰和四年」は369年ともいわれ、この場合、百済が朝貢していた東晋の年号太和4年とされる。
国造 - Wikipedia
URLリンク(ja.wikipedia.org)
伊勢国造 いせ 天日鷲命(神武天皇期) 伊勢氏(直)
志摩国 島津国造 しまづ 出雲笠夜命(成務天皇期) 島氏(直)
16:名無しさん@京都板じゃないよ
14/04/10 19:58:13.59
要するに、藤原氏秦氏説の実態だな。
17:名無しさん@京都板じゃないよ
14/04/10 21:40:29.67
そして、中臣の祖が、天之御中主神だからね。
豊受大神=国常立命=天之御中主神な訳だ。
中臣島族は、藤原麻生氏と似てる家系だな。
18:名無しさん@京都板じゃないよ
14/04/13 12:44:30.79
弓月君 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%93%E6%9C%88%E5%90%9B
徐福と弓月の君 ひもろぎ逍遥
lunabura.exblog.jp/i211/
徐福 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%90%E7%A6%8F
要するに、始皇帝徐福が渡来したのが今の九州で
後に、秦王族の弓月君が渡来したのが京都の太秦・・
太秦 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E7%A7%A6
百済経由の弓月君の秦王家が出雲族の志摩族との縁で渡来し
出雲族となり、後の、伊勢志摩の伊勢中臣氏一族の斯摩氏系譜は
伊勢氏中臣氏にば列していないが、志摩国造家の島族内の総領氏が惟宗島津氏となり
これが、鎌足が名乗り始めの藤原の名の謂れなのでしょうね。
※斯摩氏自体は、伊勢津彦の子孫で、惟宗島津氏が斯摩氏の志摩国造家に入った形なのでしょう。
九州の徐福秦氏の島津氏に従い、島族となり島津を名乗ったのでしょう。
元寇の際、九州薩摩の島津の国に大規模遠征したのが惟宗島津の弓月の君王族の関係。
19:名無しさん@京都板じゃないよ
14/04/13 13:03:07.50
秦氏 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%A6%E6%B0%8F
惟宗氏 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/%E6%83%9F%E5%AE%97%E6%B0%8F
20:名無しさん@京都板じゃないよ
14/04/13 13:10:28.57
訂正。
九州の徐福秦氏も島津氏に従い、島族となり島津を名乗ったのでしょう。
21:名無しさん@京都板じゃないよ
14/04/13 13:28:21.63
大陸の秦朝はは、たった20年三代で滅んだ訳で、徐福を頼って、日本へと避難を試みたのでしょう。
22:名無しさん@京都板じゃないよ
14/04/18 06:05:48.52
伊勢津彦 - Wikipedia
URLリンク(ja.wikipedia.org)
逸文内一説の記述によれば、出雲の神(大国主命)の子である出雲建子命の別名が「伊勢津彦」であり、
またの名を「櫛玉命」というと記しており、「伊勢」の由来についても、国号由来とは異なる記述が成されている。
それによれば、命は伊賀国穴石神社(現三重県阿山郡)に石をもって城(キ)を造っていたが、
阿倍志彦(アヘシヒコ)の神(『延喜式神名帳』内の伊賀国阿倍郡の敢国神=アヘノクニツカミと見られる)が城を奪いに来るも、
勝てずして帰ったため、それに(石城=イシキ、またはイワキの音が訛って)由来して「伊勢」という名が生まれたと記す。
23:名無しさん@京都板じゃないよ
14/04/20 00:52:48.29
豊受大神とは、素戔嗚尊・・
素戔嗚尊が若狭彦、あるいは少彦名や住吉大神と名を変えて各地の神社に祭られて居る。
祭神:豊受大神について、亦の名、天之御中主、国常立、その顕現の神を倉稲魂と申すとあって、これらの神名中特に倉稲魂というのは、素戔嗚尊が出雲で得た尊称櫛御気野尊は櫛玉命=日子穂穂手見命=火遠理命=山幸彦・・カムヤマトイワレヒコ=神武天皇だとされている。
1.2 先代ヒコホホデミの正体
URLリンク(kenkokusi.web.fc2.com)
ヒコホホデミ - Wikipedia
URLリンク(ja.wikipedia.org)
ホオリ - Wikipedia
URLリンク(ja.wikipedia.org)
天火明命:玄松子の祭神記
URLリンク(www.genbu.net)
海幸彦 と 山幸彦
URLリンク(homepage2.nifty.com)
櫛玉命=饒速日尊=天火明命=彦火明命が大己貴(大国主)
※『先代旧事本紀』
ニギハヤヒ - Wikipedia
URLリンク(ja.wikipedia.org)
24:名無しさん@京都板じゃないよ
14/04/20 01:06:54.71
櫛玉命で同一の神なので
豊受大神は、国津神と天津神共通の祖霊として天照大神と合祀している様ですね。
天照大神と素戔嗚尊を祭る、伊勢志摩の元伊勢・伊勢神宮。
25:名無しさん@京都板じゃないよ
14/04/20 01:15:29.59
豊受大神=素戔嗚尊は、伊勢=神武天皇であり・斯摩宿祢の逸話でもあり、島族の祖でもあると・・
26:名無しさん@京都板じゃないよ
14/04/20 02:53:15.55
出雲氏=伊勢氏→斯摩・志摩・嶋で島族→中臣氏→藤原氏→藤姓
27:名無しさん@京都板じゃないよ
14/04/20 03:50:10.30
元伊勢 籠神社外宮 真名井神社の度会氏の祖は、国譲りでの神武天皇の子。
伊勢国造 - Wikipedia
URLリンク(ja.wikipedia.org)
祖先
天日別命または天日鷲命(両者には同神説と別神説がある)。
前者は天御中主尊の12世孫、後者は神皇産霊尊の5世または7世孫という。
神武天皇東征の際、伊勢津彦を追って伊勢国を平定し、
その娘の弥豆佐々良比売命を娶って彦国見賀岐建与束命(伊勢神宮外宮摂社・度会国御神社の祭神)を生ませたという。
28:名無しさん@京都板じゃないよ
14/04/20 04:13:28.04
元伊勢・伊勢神宮は、国津神の出雲族大国主末代の島族・中臣氏世襲官職と解釈すると・・
度会氏は、男系神武天皇で、天照側の氏族なので、真名井神社官職を辞退したのでは無いかと解釈出来る。
29:名無しさん@京都板じゃないよ
14/04/25 09:52:08.90
古事記の千熊→筑摩・・筑柴・・筑波・・斯波・・司馬←百済渡来蘇我氏系表現
日本書紀の斯摩→志摩・・島←大国主命系譜出雲系表現
古事記の千熊は、邪馬台国史観
日本書紀の斯摩は、伊勢・志摩国造家の島氏・伊勢中臣氏史観
どちらも、神名、櫛玉命=出雲津子=伊勢津彦の末代の将軍由来のしま・しば
埼玉苗字辞典
URLリンク(homepage1.nifty.com)
島 シマ 斯摩、志摩、司馬は島と記す。
紀の国の古代史 紀の国の氏族の活躍 historykofun
URLリンク(kamnavi.jp)
紀氏の蘇我氏は、出雲大社の素戔嗚尊を祀る素鵞社(そがのやしろ)からの姓。
紀氏の波多氏も、出雲大社の素戔嗚尊の子の宇迦之魂神を祀る釜社(かまのやしろ)で共通氏族。
社家の姓氏-野々部氏-斯波氏
URLリンク(www.harimaya.com)
日本の苗字7000傑 姓氏類別大観 安倍氏/那須国造/膳氏/佐々貴山氏【1】
URLリンク(www.myj7000.jp-biz.net)
孝元天皇-大彦命-健沼河別命-大屋田子命-田道命-筑柴氏-日下部氏
筑波国造 - Wikipedia
URLリンク(ja.wikipedia.org)
筑摩神社 (米原市) - Wikipedia
URLリンク(ja.wikipedia.org)(%E7%B1%B3%E5%8E%9F%E5%B8%82)
七支刀 - Wikipedia
URLリンク(ja.wikipedia.org)
三韓征伐
URLリンク(ja.wikipedia.org)
【よろパラ ~文学歴史の10~ 日本史用語の基礎知識『紀氏』】
URLリンク(www5b.biglobe.ne.jp)
孝元天皇-彦太忍信命-屋主忍男武雄心命-武内宿禰-紀角宿禰-千熊長彦
30:名無しさん@京都板じゃないよ
14/04/25 09:52:45.37
神武東征国譲りと対抗した土着は、出雲を長とした毛人や蝦夷の連合軍だったのだろうね。
だから、出雲の敗走先が関東圏
出雲津子家族は、捕らわれ、近畿で融和の象徴にされ、代々、元伊勢・伊勢神宮神官にされて来た。
31:名無しさん@京都板じゃないよ
14/04/25 23:12:26.69
周代に半島と出雲を所領していた秦族の司馬氏族で
周代に司馬氏が半島・出雲地域までを西晋国とし建国した。
秦の始皇帝の命で秦族の徐福氏が渡来して築いた国が邪馬台国建国。
神武東征で、大和国樹立。
応神代に始皇帝七世の弓月君が救助を求めて渡来。
太秦国建国。
晋 (春秋) - Wikipedia
URLリンク(ja.wikipedia.org)(%E6%98%A5%E7%A7%8B)
西晋 - Wikipedia
URLリンク(ja.wikipedia.org) ←司馬懿
司馬懿の衣服が日の丸・・
晋 (王朝) - Wikipedia
URLリンク(ja.wikipedia.org)(%E7%8E%8B%E6%9C%9D)
とっすると、こんな感じでは・・
追記。
司馬懿と司馬遷の関係を教えて下さい。 ちなみに、三国志に興味はありません。 - Yahoo!知恵袋
URLリンク(detail.chiebukuro.yahoo.co.jp)
司馬懿は河内司馬氏の出自で、その先祖は秦王朝末期の諸侯、殷王・司馬昂と言われています。一方の司馬遷の直系祖先は秦の名将、司馬錯だと言われています。
32:名無しさん@京都板じゃないよ
14/04/25 23:27:50.28
>>31訂正。
周代×
晋代に半島と出雲を所領していた秦族の司馬氏族で
晋代に司馬氏が半島・出雲地域までを西晋国とし建国した。○
33:名無しさん@京都板じゃないよ
14/04/30 23:05:00.01
伊勢津彦と建御名方命との関係
URLリンク(wwr2.ucom.ne.jp)
倭史人物推定系譜私案
URLリンク(homepage3.nifty.com)
伊勢津彦
■「出雲国造いずものくにつくり・千家せんげ・北島きたじま、武蔵国造」推定系図
志摩氏=志麻氏
■「阿波忌部・安房忌部・度会・斎部」推定系図
━神魂━角己利━五十狭布魂━天底立━天背男━櫛明玉[玉祖宿禰祖][出雲国玉作の祖]・・
・・━天日鷲翔矢━・・━志麻名布━
■「物部・石上・和田・建内・蘇我」・「阿部氏」推定系図
饒速日━宇麻志麻治━・・━国志麻━・・
34:名無しさん@京都板じゃないよ
14/05/01 18:20:17.74
>>33
饒速日━宇麻志麻治 可美真手[磯城1神武]━・・
神武天皇家の氏姓判明です。
宇佐氏・島氏の祖です。
宇佐島氏と言う姓が神武天皇家の姓です。
35:名無しさん@京都板じゃないよ
14/05/01 18:34:11.86
宇麻氏
36:名無しさん@京都板じゃないよ
14/05/07 00:53:51.86
>>33の訂正。
国造 - Wikipedia
URLリンク(ja.wikipedia.org)
伊勢国造 いせ 天日鷲命(神武天皇期) 伊勢氏(直)
志摩国 島津国造 しまづ 出雲笠夜命(成務天皇期) 島氏(直)
神々の系譜と海神族の初期分岐過程
URLリンク(wwr2.ucom.http:)
天孫族の神統譜は、わが国での始祖神・五十猛神の子、「高魂神(高皇産霊尊、高木神、五十狭布魂命)-天照大神(天照御霊大神、生国魂神、活玉命、生島足島神)」と続くが、
海神族の先祖の歴代系譜は不明であり、八島士奴美命や大歳神がその祖神と考えられるものの、大己貴神との関係も不明である。
A安房忌部の系図「斎部宿祢本系帳」(安房洲宮祠官小野氏所蔵)では、「神魂命─⑤角凝魂命─④伊佐布魂命─③天底立命─②天背男命─①天日鷲命」と続くが、
B備前国津高郡の田使首の系図(『百家系図』47所収の「難波系図」)では、「④高魂命─③伊久魂命─②天押立命─①陶津耳命」と対応しており、
C「⑤角凝魂命─④伊狭布魂命─③□□─②天湯川田命─①少彦根命」と三島県主の祖系では記される。
イサフタマ【天伊佐布魂命】
URLリンク(gejirin.com)
神皇産霊尊-角凝魂命 ─伊佐布魂命─天底立命-天背男命-天日鷲翔矢命 という系図がある。
■「阿波忌部・安房忌部・度会・斎部」推定系図
URLリンク(homepage3.nifty.com)
・・━天日鷲翔矢━大麻比古━由布津主━訶多々主━伊那左可雄━沙喜久和別━天由良和気━比比多━止美々大人━伊波毘古━志麻名布・・(伊勢志摩国造家?)━武良比(武蔵国造家?)
URLリンク(homepage3.nifty.com)
※神皇産霊尊
カミムスビ - Wikipedia
URLリンク(ja.wikipedia.org)
大国主が兄神らによって殺されたとき、大国主の母が神産巣日神に願い出、神皇産霊尊に遣わされた蚶貝姫と蛤貝姫の治療によって大己貴命は蘇生する。
イエスキリストの死と蘇生の話そのものでは・・
37:名無しさん@京都板じゃないよ
14/05/07 01:24:28.83
①阿波忌部氏のルーツ(鴨県氏、葛城氏)※度会氏の天日別[伊勢朝臣]系譜説在り
伊勢志摩国造家の島氏島族。
②物部氏・穂積氏のルーツ
元伊勢外宮 比沼麻奈為神社 島谷祠掌・元伊勢 籠神社別宮 和貴宮神社 島谷神主
大宮売神社 島谷宮司の島族。
※天太玉命は天日鷲あめのひわし命、手置帆負たおきほおい命、彦狭知ひこさち命、櫛明玉くしあかるたま命、天目一箇あめのまひとつ命をひきいた。
天日鷲命は阿波国忌部等の祖。手置帆負命は讃岐国忌部の祖。
天津彦根命=天若日子命。その子神が、天目一箇命=天御影命で天日鷲命と天鈿女命は、兄弟の神。北伊勢大神(多度神)
38:名無しさん@京都板じゃないよ
14/05/07 01:26:22.57
>>34は×
39:名無しさん@京都板じゃないよ
14/05/07 01:58:21.28
天照大神=活魂命━天津彦根命=天若日子命━天目一箇命=天御影命━饒速日━宇麻志麻治━味饒田━神日子━麻佐良━久尼牟古━大由支━大阿斗足尼━稲比━大乙世━国志麻━夫都底━大刀見・・
島族は、天津彦根命=天若日子命が妻、大国主命の娘の女系で出雲族のようだ。
40:名無しさん@京都板じゃないよ
14/05/07 08:08:09.34
>>3の事を調べた結果。
どうも、②物部氏・穂積氏のルーツとは、応神代で氏姓のつながりが観えるが
末代には、島谷氏は居ないようで、やはり
①阿波忌部氏のルーツ(鴨県氏、葛城氏)※度会氏の天日別[伊勢朝臣]系譜説在り
伊勢志摩国造家の島氏島族ルーツの縁で
元伊勢外宮 比沼麻奈為神社 島谷祠掌・元伊勢 籠神社別宮 和貴宮神社 島谷神主
大宮売神社 島谷宮司の島族のようだ。
41:名無しさん@京都板じゃないよ
14/05/07 08:09:59.72
>>40のアンカー訂正。
>>37の事を調べた結果。
どうも、②物部氏・穂積氏のルーツとは、応神代で氏姓のつながりが観えるが
末代には、島谷氏は居ないようで、やはり
①阿波忌部氏のルーツ(鴨県氏、葛城氏)※度会氏の天日別[伊勢朝臣]系譜説在り
伊勢志摩国造家の島氏島族ルーツの縁で
元伊勢外宮 比沼麻奈為神社 島谷祠掌・元伊勢 籠神社別宮 和貴宮神社 島谷神主
大宮売神社 島谷宮司の島族のようだ。
42:名無しさん@京都板じゃないよ
14/05/07 11:45:17.35
出雲健子とは、・・天照大神-天若日子命=天津彦根命-・・神皇産霊神・・天日鷲翔矢=少彦名神-大麻比古-由布津主=阿八別彦-・・忌部系譜の
天若日子命=天津彦根命~由布津主=阿八別彦の間の人物。
島谷氏の渡海の航海術の基礎が天日鷲翔矢=少彦名神に由来と観る。
参考サイト
スクナビコナ - Wikipedia
URLリンク(ja.wikipedia.org)
鳥トーテムをもつ秦王室とその族裔たち
URLリンク(wwr2.ucom.ne.jp)
※大国主神=オホナムチ(大己貴)大神=大蛇・・天若日子命=天津彦根命=龍
■「大国主」王統譜
URLリンク(homepage3.nifty.com)
※補[推定系図私案ver.0.2]2003.08.15,2000.07.01参照。
国魂 - Wikipedia
URLリンク(ja.wikipedia.org)
43:名無しさん@京都板じゃないよ
14/05/07 11:49:58.12
島族は、天日鷲翔矢=少彦名神=昔話の一寸法師の末代。
44:名無しさん@京都板じゃないよ
14/05/10 01:23:42.95
まとめ
埼玉苗字辞典
URLリンク(homepage1.nifty.com)
島 シマ 斯摩、志摩、司馬は島と記す。の章
国造
URLリンク(ja.wikipedia.org)
伊勢国造 いせ 天日鷲命(神武天皇期) 伊勢氏(直)
志摩国 島津国造 しまづ 出雲笠夜命(成務天皇期) 島氏(直)
■「阿波忌部・安房忌部・度会・斎部」推定系図
■「出雲国造いずものくにつくり・千家せんげ・北島きたじま、武蔵国造」推定系図
URLリンク(homepage3.nifty.com)
神々の系譜と海神族の初期分岐過程
URLリンク(wwr2.ucom.ne.jp)
45:名無しさん@京都板じゃないよ
14/05/11 06:33:44.96
記紀研究家の話では、斯摩宿禰・千熊長彦・武内宿禰・気長宿禰がそれである。そして気長足姫と葛城襲津彦を生んだ。
※すべての大王の王子が、その母の地たる本居また養育された氏族の名をもって諱としたことを想えばいい。曽我馬子もまた曽我大臣でなく嶋大臣と呼ばれたのである。
武内宿禰は、その本居をもって、気長宿禰とも名告ったのだと思う。その元名こそ内宿禰であった。武はむろん武威をいう美称である。
・・
武内宿禰=斯摩宿祢、後の葛城襲津彦も武内もしくは斯摩襲津彦。
蘇我馬子=斯摩宿祢=千熊長彦
第一章 斯麻宿禰β
URLリンク(www9.plala.or.jp)
46:名無しさん@京都板じゃないよ
14/05/11 06:42:19.51
>>45で紹介のトップページから・・
おもしろそう紀
URLリンク(www9.plala.or.jp)
↓
第一章 斯麻宿禰
47:名無しさん@京都板じゃないよ
14/05/11 06:52:52.90
>>46
>>45の話は・・
要するに、神武代よりの欠史八代の後継皇統氏族が治めてきた中央氏族を渡来とした渡来説だと、
裏づけがこんな感じだろうね。
48:名無しさん@京都板じゃないよ
14/05/11 07:05:24.29
渡来の神武代以降の欠史八代の皇統の斯摩族は、大彦命筋の武内宿禰以降が殆ど、武内宿禰=斯摩宿祢系譜となるようだ。
この渡来は百済渡来出雲族となる。
千家氏も含まれるのかは不明だけど・・
阿波忌部氏系譜の志麻氏の伊勢志摩国造の島直氏の島族とは、別と認識した方が良いかも・・
49:名無しさん@京都板じゃないよ
14/05/11 07:09:08.69
渡来の斯摩族が司馬皇帝の司馬氏け姓で斯摩を名乗ってそう・・
50:名無しさん@京都板じゃないよ
14/05/11 07:09:48.60
>>49もとい
渡来の斯摩族が司馬皇帝の司馬氏け姓で斯摩を名乗ってそう・・
51:名無しさん@京都板じゃないよ
14/05/11 07:11:05.57
>>49・>>50もとい
渡来の斯摩族が司馬皇帝の司馬氏姓で斯摩を名乗ってそう・・
52:名無しさん@京都板じゃないよ
14/05/13 03:59:46.54
江戸初期の小笠原探検士隊隊長の島谷市左衛門が元伊勢の社家氏族で
ルーツが伊勢志摩国造家の島氏島族の長筋。
伊勢氏は出雲健子=伊勢津彦で、大国主命の末娘と婚姻した天若日子命=天津彦根命で
その子が、天日鷲翔矢=少彦名神、大国主命と共に国中を旅して国造して行った少彦名神=一寸法師
埼玉苗字辞典
URLリンク(homepage1.nifty.com)
島 シマ 斯摩、志摩、司馬は島と記す。
島谷 シマタニ 各市町村に存す。島根県松江市十五戸あり。
嶋谷 シマタニ 川口、志木等に存す。
嶌谷 シマタニ 浦和に存す。
島谷 シマヤ 各市町村に存す。長野県埴科郡戸倉町十四戸、青森県上北郡野辺地町十七戸、西津軽郡柏村十戸あり。シマタニ参照。
嶋谷 シマヤ 与野、久喜、越谷、草加等に存す。
島屋 シマヤ 越谷に存す。
国造 - Wikipedia
URLリンク(ja.wikipedia.org)
伊勢国造 いせ 天日鷲命(神武天皇期) 伊勢氏(直)
志摩国 島津国造 しまづ 出雲笠夜命(成務天皇期) 島氏(直)
元伊勢外宮 比沼麻奈為神社 祠掌社家について
スレリンク(kyoto板)
崇神天皇の時代の京丹後 元伊勢外宮 比沼麻奈為神社 祭神:豊受大神の島谷祠掌
雄略天皇の時代の天橋立 元伊勢 籠神社別宮 和貴宮神社 祭神:豊受大神の島谷神主
崇神天皇の時代の京丹後 大宮売神社 祭神:豊受大神の島谷宮司
古樹紀之房間で検索。
古樹紀之房間トップ→日本古代史一般→神々の系譜と海神族の初期分岐過程最下段の海神族一族諸氏の分岐過程と言う系譜図
・天照大神-天若日子命=天津彦根命-天日鷲翔矢=少彦名神・・
■「阿波忌部・安房忌部・度会・斎部」推定系図
URLリンク(homepage3.nifty.com)
神皇産霊神・・天日鷲翔矢-大麻比古-由布津主-訶多々主-伊那左可雄-沙喜久和別-天由良和気-比比多-止美々大人-伊波毘古(≠伊波礼毘古?)-志麻名布・・(伊勢志摩国造家?)-武良比(武蔵国造家?)
※北海道巡検士隊の最上徳内も島谷氏出身で高宮氏養子に行き、再び島谷氏宗家の島屋へ戻り、本多塾講師から最上徳内の名を拝領し、北海道へ旅立つ・・
53:名無しさん@京都板じゃないよ
14/05/14 01:13:24.23
>>1
奥大野(京丹後市大宮町)
URLリンク(www.geocities.jp)
若宮神社 島谷社掌も追加。
54:名無しさん@京都板じゃないよ
14/05/14 01:14:57.05
>>53追記。
祭神 宇賀能売命
55:名無しさん@京都板じゃないよ
14/05/15 05:41:44.70
忌部氏
URLリンク(ja.wikipedia.org)
56:名無しさん@京都板じゃないよ
14/05/16 18:55:33.58
心木神社・祭神 大月姫命(倉稲魂命)
URLリンク(www.geocities.jp)
大屋神社・祭神 木花咲耶姫命・素戔嗚命
URLリンク(www.geocities.jp)
高森(こもり)神社・祭神 億計命・弘計命
URLリンク(www.geocities.jp)
皇大神社・祭神 天照大日霊女命・大宮比売命
URLリンク(www.geocities.jp)
三社神社・祭神 迦具土命・興津彦命・興津姫命
URLリンク(www.geocities.jp)
三坂神社と干塩稲荷神社
三坂神社・祭神 伊邪那美命
干塩稲荷神社・祭神 倉稲魂命
URLリンク(www.geocities.jp)
若宮神社・祭神 宇賀能売命
URLリンク(www.geocities.jp)
大野神社・祭神 保食神・大荒田別神・熊野十二神・野槌神
URLリンク(www.geocities.jp)
神職 島谷旻夫(兼)(周枳大宮売神社神職)←上記の神社を全て、兼任しているようだ。
>>1 ↑
崇神天皇の時代の京丹後 大宮売神社 祭神:豊受大神の島谷宮司
57:名無しさん@京都板じゃないよ
14/05/17 21:05:11.99
崇神天皇の時代の京丹後 元伊勢外宮 比沼麻奈為神社 祭神:豊受大神の島谷祠掌
元伊勢外宮 比沼麻奈為神社 祠掌社家について
スレリンク(kyoto板)
崇神天皇の時代の京丹後 元伊勢外宮 比沼麻奈為神社 祭神:豊受大神の島谷祠掌
雄略天皇の時代の天橋立 元伊勢 籠神社別宮 和貴宮神社 祭神:豊受大神の島谷神主
崇神天皇の時代の京丹後 大宮売神社 祭神:豊受大神の島谷宮司
↑
それぞれ同じ島谷氏だが、別々の家柄の島族です。
58:名無しさん@京都板じゃないよ
14/05/19 18:38:18.04
元伊勢外宮 比沼麻奈為神社 祠掌社家について
スレリンク(kyoto板)
59:名無しさん@京都板じゃないよ
14/05/22 11:42:08.20
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