13/10/27 22:22:03.25
弁証法は提唱されたテーゼにアンチテーゼが提起され会議はジンテーゼで纏めようと進ませる。
空・仮・中をこの方法で進ませる方法が三論宗的な中道だが
それでは空や仮とは別に中道という実存があるかのような誤解が起こる。
空にせよ仮にせよ一切は苦であるという仏教の起点を解脱へと向けるうえで
ある面からの視点。
空と仮が別々にあるのではなくまた中道がその上にあるわけでもない。
また奥深くに秘蔵されている何かというものでもない。
この辺りの注意を怠ると如来蔵思想に陥る危うさがある。
日本では、太子三部経の中に勝鬘経が、法華経と維摩経と同列かのように入っている。
勝鬘経は如来蔵思想を肯定的に説く経典。
天台宗でも五時説において第五を法華涅槃時とし
涅槃経を法華経とほぼ同列であるかのような位置に説く。
大乗の涅槃経が説く内容は如来蔵思想。
そのため、天台宗自体が如来蔵思想に近いかのような誤解が一部にある。
臨済宗や曹洞宗のような禅宗はそういった天台宗の弱点を
即心即仏即身是仏のような禅語にも見られるような「頓」を極める姿勢で解消しようとした。
しかし、黙照禅なる曹洞宗は空に頓が傾き、看話禅なる臨済宗は仮に頓が傾いたきらいを感じさせる。