13/02/26 19:36:25.33
>>261
御寺 泉涌寺 公式サイト 由来より
当寺は天長年間、弘法大師がこの地に草庵を結び、法輪寺と
名付けられたことに由来し、後に仙遊寺と改名された。建保6年
(1218)に、当寺が開山と仰ぐ月輪大師・俊じょうが宇都宮信房
からこの聖地の寄進を受け、宋の法式を取り入れた大伽藍の
造営を志し、嘉禄2年(1226)に主要伽藍の完成をみた。その時、
寺地の一角から清水が涌き出たことにより泉涌寺と改めた。
この泉は今も枯れることなく涌き続けている。
定子は長保2年12月16日(1001年1月13日)に崩御。
Wikipediaを参照
中宮定子が埋葬されたときには、まだ泉涌寺の土地では
なかったのでは?