13/01/24 06:39:24.58
>>149
ご回答有難うございます。
しかし、疑問がどうにも
①事実と異なることは説かれていないなら
「我が末法の時の中に億億の衆生、行を起こし、道を修せんに、未だ一人も得る者あらじ」(大集経)
の言葉も事実として捉えるべきでは?
②教えが正しく伝わっていなかったら、山頂への道が正しく伝わっていなかったら、
山頂(真実)に辿りつけないのでは?これが末法ではないでしょうか?
⑤「深法」というのは、文字の意味からして「法華経に至るまでの易しい段階の教え」ではなく、
「真実」では?
・無量寿仏を念じ、その国に生まれんと願ずべし。
若し深法を聞きて歓喜信楽し、疑惑を生ぜず。