12/09/15 20:44:25.17
酉酉極楽さん、消えてしまったね。
せっかく胸襟を開いて理解しあえたのに寂しいな。
分かり合えた記念に、”お札、お守りの寿命はなぜあるのか” について
教えてあげようと思ったのに残念だなあ。
今日は朝から車で出張、300km近く走行し、理趣経全段含む丁寧な
供養を、4座御参りしてきた。
私は別に自慢話をした覚えが無いのだが、電波とか自慢とか言う者が
居る事が不思議でたまらないのだw
現在TVで政治家は国家の政治の頂点に立つべく、自分を一生懸命アピールしているし、
病院で手術をする前に、手柄話宜しく自分の業績を医者は熱心に患者にアピールする。
どの世界も、自分の能力をアピールする事は世界の常識、日本人は自己アピールどころか、
国のアピールも下手で、散々辛酸をなめている。
確かに昔は自分のことを言わない事が由とした事もあり、名前すら言い合わずお互いの胸中
を察することが出来る技量があったのだ。
四十七士の蕎麦屋に扮した杉野次房(赤穂浪士)とからんだ俵星玄蕃との討ち入り時の会話
「元禄名槍譜」 に出てくるシーンなのだが、この逸話では、お互いの立場や技量を察して、
ついに名前すら名乗りあわずとも、深い絆が出来た心の綾の話だが、今では、全く通じない
社会になってしまった。
しっかりと、自分の立場、技量、経験をお客に話すことの重要性は、今までの社会以上に必要
な時期にきており、宗教の世界も、出来る事と出来ない事をはっきりと伝える時代に入ってきて
いると思う。
私は、別に宗教維新の会的思考は無いのだが、少なくとも他人より多くの努力をして勝ち得た
事は、どうどうと言うべきだし、其れを見聞きした同種の路を歩む者は励みの目標として、切磋
琢磨すべしと思う。其れが出来ない落ちこぼれが、反発するのは、しょうがないのだなあ。