12/09/14 16:34:32.49
587 ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU 2012/09/14(金) 09:04:20.34
この書き込みに思う >>584 名無しさん@京都板じゃないよ > 信心を失う
信心が無くなったと言いながら、あちらこちらに同文を貼り付けている。
まだ信仰に未練があるのか?
しかも、信心していたときの心のありようを書いているようだが、
> 特に心願というもはなく
これでは、仏様は動きようが無く、本人も変化しない。
祈願で一番求められるのは、祈願した事による本人の心のありようであり、仏様は企業者
に交渉をして就職を決めてくれることは当然の事だが無い。
勉強をしないで、合格祈願をしたから、受験で勝ち抜けると思うのと似ている。
祈願をする事で、対面で必要な好感を持ってもらえる環境は整えていただける。
しかし、大事なのは自分自身の考えと振る舞いであり、昨日今日で培うものではない。
自分の欠点を反省することなく、”手を合わせる気は全く起きない” と云う心が潜んでいた
なら、神仏は容易に感じ取り、それなりの対応しかしてくれない。
私は、お腹に卵大のガンが見つかった翌週、医者の緊急手術の薦めも聞かず、51日間
の虚空蔵菩薩求聞持法という荒行をした。
修行が終わって、仏様との約束を果たしたと云う満足感のもと手術を受け、無事ガンを
摘出した。
腫瘍の大きさはデリシャス林檎大に肥大していた。
その手術から7年たった今、体内にガンの存在を示すマーカーは出ていない。
信仰は、するものの真剣さに応じた加護を得られると私は考える。
次に祈願のコツを書いておこう。
此れを生かすも殺すも自分次第、