13/06/27 00:30:20.14 LvvwfHKO
>>255の続きです。
私がケーディを導入したきっかけは“とれいん”昭和59年6月号(114号)の28ページ。
当時1ドル=250円でケーディ連結器も当然乍ら今より高価で、当時21歳の薄給の私には
(当時5時まで公務員、5時から大学生でした)かなり勇気の要る出費でしたが
少年時代からベーカーの不随意解放に悩まされ続けた私にはまさに“神器”でした。
どの車両に何番付けると良い、と懇切丁寧に教えてくれたのは今は亡き安井の親父さん。
その後、加トがプラHOに参入してきた時に自連型のカプラーを製品に付けてきたし
富に至っては10系寝台客車はハナからケーディ5番標準装備で出てきただけに、
やはり連結器はあの時点(1984年)で換えておいて正解でしたね。