13/01/16 15:55:33.15 BR/s/rSw
上り「つばめ」「はと」の牽引機を受け持った宮原機関区のC62は、ストーカー使用での燃焼効率が悪いのを嫌い、
関が原越えではストーカー使用を止め、助手2人による投炭が指令されていたはず。それが想像を越えた激務なので、
昭和28年1月から鷹取工場で重油併燃装置を取り付け、重油タンクはテンダー上、炭庫外設置のいわゆる「宮原装備」となる。
逆に下りも関が原越えで同じ投炭激務、宮原と同じ、昭和28年9月から名古屋装備となる。
そもそも人力投炭はC59で限界を迎え、C62やD52は無理が生じてるが、D52はC62と違い、
優等列車牽きでは無いので、クローズアップされて無い。