14/02/12 10:51:57.92 L46gzbcc0
>>778
こんにちは。ギムヨウンスンです。1993年2月22一生にだけ21歳です。
子供の頃、父にサッカーを学び、興味を感じ蔚山オクドンチョでサッカーを始めました。勉強より外に出てゴンチャゴ走り回っていたことが好きだったので選手になる道を選びました。
中学校は容認FC所属の元三重に進学し、新葛高を卒業しました。良い指導者の方々の下で優れた先輩と一緒に学び、青少年代表チームもあり、
2009年にナイジェリアで開催されたU-17ワールドカップにも出場しました。新葛高を卒業して、偶然の機会セビリアでよく見てくれて、テストを見ることになりました。
欧州の舞台にも挑戦したくて半信半疑ながら、スペインに行きました。
TVで見ていた選手たちとサッカーすることができるときめきもあったし、行って上手にできるか心配にもなって.... 飛行機の中で気が多く、頭の中が複雑でした。
セビリアに到着したとき、感じが良かったです。暖かく芝生も良かったです。サッカーするには良い国だと思いました。テストをしてきたみんなよく見てくれて入団することになりました。
2軍で京畿道みて、1軍での訓練もしてみ様々な経験をしました。最初は言葉も通じないし、単独で東洋人だと見ると大変でした。北朝鮮から来たのかとずっとたりしたし、
「チノ(中国人という意味)」とからかわを受けました。
でも適応しているからこその友人もよくしてくれた、特にセビージャ1軍にいたフレデリック·カヌーテ(北京国安)が親しみのくれました。みんないい人でした。
セビリア後ベニルAが2010-2011シーズンキンク"オブキング戦で優勝する時が一番記憶に残っています。当時守備と側面ミッドフィルダー、守備的MFを行き来して活躍しました。
当時、韓国のインターネットには、私の後ベニルAで23試合に出場し34ゴール?14ヘルプを上げ段話が石というが、事実ではありません。そうしたら、リーガにデビューしますよ(笑)
それくらいではなかったし主力として着実に走ったのは、そうです。正確な記録は私も分からないですね。しかし、負傷のためにスペインで夢も終わりました。
後ベニルA正規リーグの試合中でした。当時の状況がまだ鮮やかです。FWとして出場しましたね。急いで方向を転換するために、左の足の甲側の「ウッド得」という音がした。
疲労骨折。サッカーをしながら、最初に大怪我を起こして。セビリアでも気を使ってくれました。手術からリハビリまで配慮をしてくれたよ。