12/01/28 00:05:54.44 XFvyBvde0
移籍金約33億円でビッグ7の強豪パルマへ、背番号10エース待遇でローマから移籍。
まず期待値がアジア人として異例ゆえ見る目も厳しい。
確かにパルマ1年目リーグ戦は良く無かった。監督も交代続きで中田もレギュラー落ちしたり。
リーグ戦24試合出場。 チーム順位は当時のパルマでは許されない位置。
中田はコッパ・イタリアの決勝戦と準決勝で活躍して優勝したくらいしか、このシーズン良いところ無し。
そして2年目からの監督がプランデッリ。
中田の希望する役割とは違ったがレギュラーで起用され、リーグ順位も落ち着く。
中田(MF)、アドリアーノ(FW)、ムトゥ(FW)のトリデンテ 時代。 >>33
パルマ2年目=レギュラーで31試合出場。
後に守備戦術に移り変わり、その時の起用法でプランデッリと衝突し、レンタルで中田は出て行った。
恩師が監督しているクラブ・ボローニャのオファーを快諾>>37。そして活躍。そのレンタル中にパルマは破産。
その後、腐ってもビッグ7のフィオレンティーナへ、また10番として迎えられています。
しかしフィオレンティーナは、ボローニャで発症したグロインペイン未回復で不調の上
パルマで喧嘩別れしたプランデッリが監督就任というオチ… >>35