13/03/25 10:00:03.45 O+IWIVVL
学びとは、今日とは真に違った明日のための、唯一の希望なのだから、恐怖や争い、
怨恨、紛争、戦争、そして暴力的な死があふれる明日ではなく、平和と喜びと愛の明日だ。
いま人類は大きな危機に直面している。それを間違えないように。その危機とは、
イデオロギーの対立だ。信念の危機だよ。
あなたがたは神と分離(それ自体が誤った信念だが)と、生命の分離と同一視した。
それも無理はない。あなたは深いレベルで神とは生命だと知って、理解していたから。
そんなふうに表現できないにしても、細胞レベルで、その真実を知っていた。
したがって、神と分離したと思ったときから、生命あるものとひとのすべてが、
自分とは別物として体験されるようになった。
逆に、神とひとつであることを受け入れたときから、生命あるものとひとはすべて、
自分とひとつのものとして体験できる。
これはすべてのマスターが教え、すべての神秘家が報告している。
あなたがたが神との分離を受け入れたのは、自分が分離を体験したからではなく、
そう教えられたから、教えたのは組織的宗教だ。
宗教は生まれた場所、幼いころの産物だ。永遠の真実の産物ではなく、
文化的な環境の産物なんだよ。
ひとは、信じなさいと教えられたことを信じる。疑問をいだかない。
教えの源を疑いたくないからだ。
だか、そこを疑ってごらんと言っている。基本的な信念を変更したら、誰が間違っている事になるのか?
そこがおもしろいところなんだよ。
正しい事と間違っていることがあると考えているかぎり、
あなたがたは『正しく』あるために、どんな危険もいとわないだろう。
信念を変えたら、自分や自分の愛するひとが間違っている事になると思えば、
信念を変えようとはしないだろう。
だが、正しいか間違っているかという基本軸を、
有効化有効でないかというパラダイムに変えたとたん、
基本的な信念を批判的に分析することのーーーもちろん変えることも
ーーー困難は薄らぐ。
いま、世界は正しいか間違っているかのパラダイムのなかにあり、
神についての誤解と生命/人生についての第一の誤解、つまり、
分離が存在するという幻想に支えられている。
あなたがそれとは反対の体験をした、他者や神性とひとつとなるという、
喜びあふれる至福を知っていると言おうものなら、そんな体験には用心しなさい、
軽々しくひとに語ることをするんじゃないね。
と言われるに違いない。