13/01/13 11:21:13.18 5VyuH06u
自己犠牲……それは大いなる他者犠牲でもある。イエスは、愛と自己犠牲によって人類の罪を背負って処刑されたとされる。
イエスのレベルであれば自己と他者は一体であり、「イエス・キリスト=人類」である。
イエスが自己犠牲によって処刑されたのなら、それが何を意味するのか……。
イエスの処刑は、グランドクロスに磔にされた地球の、人類の処刑の型示でもあったのである。
イエスは贖罪神スサノオの受肉、即ち「現人神」だった。
まず、イエスほどの霊能者であれば、自分が処刑される事は予知できていたはずだが、それを回避する事もせずにパリサイ派を批判し続けた。
王仁三郎が自らの教団を政府に弾圧させたように、イエスも自分が処刑されるように仕向けたとしか思えない。
そもそも人は、生まれる前に自分の人生を決めて生まれてくる。イエスは処刑される為に生まれてきたと言っても過言ではない。
イエスほどの人物であれば、自分の運命と使命を自覚していたはずだ。また、『旧約聖書』に精通していたであろうイエスなら、
ヨセフの人生が自分の人生の予型となっている事も分かっていただろう。実際、ユダに裏切りを指示したのは、イエス自身だったという説もある。
イエスが処刑されたのは、人類の罪を背負って人類を救う為だった。そんな馬鹿な事があるものかと一笑するのは簡単だが、
贖罪神スサノオの身魂を持つ人物の言動は、文字通り「雛型経綸」であり、人類に与える影響は計り知れないものがある。
スウェデンボルグによると、イエスの時代はかつてない暗黒だったという。つまり、ノアの大洪水のような大天変地異が起きる可能性があったのだが、
イエスは自分の死と引き換えに人類を滅亡から救ったという解釈も出来る。
だが、イエスが処刑された事には深遠なる意味が隠されている。歴史的にはイエスを処刑したのはパリサイ派だが、それは体主霊従主義の悪神アテンを信仰する者たちである。
即ち、真我を説くイエスの教えを抹殺した人間達である。イエスが、「処刑されたという因」を作ったという事は……。
体主霊従主義で真我に目覚めない人々は、やがて「処刑されるという果」が待っているという事になる。それを裏付ける興味深い話があるので紹介しておきたい。