14/05/11 15:35:55.03 fg+5/rU5
女性って、男性よりも、批判を浴びるようなことはやりたがらないですよね? もちろん、
人によりますが、褒められたり、喜ばれることは進んでやりますが、(たとえ「正しい」ことでも)
非難されたり、嫌われたりすることはやりませんよね?
でも、それなら、ハッキリ申し上げますが、「責任者にはなるべきではない」ですね。
なぜなら、「責任者」ってのは、「正しい」と思うことを(時には)非難覚悟でやらなければならない
(場合がある)からです。しかも、自分のしたことだけでなく、部下のしたことの責任を取らなくては
いけないわけですから、それが嫌なら、責任者になるべきではないですね。
ところが、政府や自治体は、「ポジティブ・アクション」と称して、女性のそういう「特性(=傾向)」
を無視して、無理矢理、女性を「責任者(=指導的地位)」に仕立てようとしています。まあ、女性
のなかには、(自分らの)そういう「特性」を知らずに、おだてられて、安易に「責任者」になる人が
いるわけですが、「責任者」の資質のないまま、あるいは、自覚のないまま、「責任者」になれば、
イザという時(=責任が問われる場合、あるいは、批判を受ける場合)、ご本人にとっても、
周りにとっても、困ったことになります。
その「いい例」が、小保方さんです。「STAP細胞」のお披露目の際には「颯爽」としていましたが、
責任が問われる段になると、途端に「(女性の)弱さ」を前面に出していました。
「お涙頂戴」、とてもじゃないが、「責任者(=ユニット・リーダー)」と呼べる状態ではありませんでした。
しかも、それを「かわいそう」と言う人たちが結構いるのも「驚き」です。「責任者(=ユニット・リーダー)」
(注:「ユニット・リーダー」は、大学で言えば「准教授」にあたる)、自分のしたことに責任を持つのは
「当たり前」です。非難されているのが「女性だから」と、「寄って集って(苛めている)」などと言うのは、
仕事を嘗めている、「責任」というものが全くわかっていない、と言っても過言ではありません。
要するに、本人(=女性)も甘えていますが、周りも「甘えさせている」のです。まるで「子供扱い」です。
そんなことでは、女性はいつまで経っても、男性に追いつき、追い越せません。
「男女は対等」なんてのは、「絵に描いた餅」、「夢のまた夢」です。
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