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>>20の続き
【音楽家東瑠利子、華麗なる愛】 ■第十三回■
昭和59年の正月は滞りなく過ぎていった。
この年は例年になく悲惨な正月であった。
新聞各紙は正月三が日で発見された
行き倒れ人の数が全国で3297人を記録したと報じた。
瑠利子はそのことを伝える新聞記事を読みながらため息をついた。
瑠利子は1月5日の夜、久しぶりにレコード鑑賞を楽しんだ。
実は前年暮れ以降の悲しい世相に胸を痛め、音楽鑑賞を
控えてきていたのだが、この夜、両親に勧められ、久しぶりに
レコードプレーヤーにレコードを置いた。
重厚なステレオから流れてきた曲はチャイコフスキーの「悲愴」であった。
彼女はこの曲を聴くたびに嗚咽した。それはこの曲の奏でる旋律が
当時の重苦しく悲しい日本の世相を語っているように思われて
ならなかったからであった。
瑠利子は窓辺に立って夜景を眺めた。その頬には一筋の涙が流れていた。
(第十四回に続く)