13/02/04 20:48:40.57
>>211の続き
【音楽家東瑠利子、華麗なる愛】 ■第八回■
昭和59年は近来稀に見る悲惨な正月となった。
各地で行き倒れによる死者が続出し、街頭でも方々で死体が見られた。
東北地方では農家の夜逃げが相次ぎ、地方によっては農民全てが逃亡するケースもあった。
また、娘の身売りが続出し、泣きながら親にしがみつく娘を無理矢理引き剥がす
仲介人の様子が新聞の社会面を飾ったこともあった。
瑠利子一家はそうした悲惨な光景を黙視したわけではなかった。
各地の福祉団体に多額の援助金を贈り、彼らの幸せを祈った。
明確な資料はないが、一説によれば瑠利子一家が拠出した資金は10億円を超えるといわれる。
1月1日。瑠利子は両親に新年の挨拶を済ませると庭に出て、
朝日に向かって人類の幸福を祈願した。全ての人が幸せになるように、
地球上から飢えと争いがなくなり、平和になるように祈った。
瑠利子の心の中には私欲は欠片もなく、ただ暖かな愛でいっぱいであった。
(第九回に続く)