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日本が高度経済成長に入ったのに、別子銅山の閉山が現実味を帯びて、
これから新居浜は産業も人も激減すると懸念されてた1960年代に、
それでも将来のために都市基盤整備をしようということで、当時では
分不相応なくらいに広い堺筋の拡張を行い、市役所通りの全線開通に
向けた工事を行い、産業振興のために多喜浜の工業団地と東港の整備を
計画し、市民の健康促進・スポーツ振興のために市民プール・市民体育館
山根グラウンド整備を計画し、それぞれが整備された結果、今の新居浜がある。
あの頃は社会党市政で福祉重視で県や国から敵視されてたにも関わらずだ。
都市基盤整備だけはしっかりやっておかないといけない。