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儒学を体系づけて朱子学を打ち立てた「文の英雄」、朱熹について
語り合うスレッドです。
~概略~
華北を女真族の金に奪われ、屈辱的な講和条約を結んでいた宋代。
1130年、南宋の南剣州尤渓県(現在の福建省)に学問の徒であり
官僚でもあった父の下に福建省で生まれ、同じく学問の道を志した
朱熹。途中で父を亡くしながらも10代で科挙に合格し、官僚になる。
官僚としての任務に励みつつも、父の4歳年上で同門であった李侗
(李延平)に儒学を学ぶ。
儒学の諸経典のうち、『論語』、『孟子』、『大学』、『中庸』を重視して
注釈を施した。これらを総称して四書と呼び、また『大学』と『中庸』は
『礼記』から独立させたものであり、以後、『礼記』を含む四書一経が
儒学の聖典という位置づけになる。
日本では、建武の中興(建武の新政)と江戸時代の時期に影響力を
持ち、朝鮮の李朝(李氏朝鮮)では、朱子学が唯一の官学とされた。
南宋を軍事的に圧迫した女真族の金や、南宋を滅亡に追いやった
モンゴル族の元は既に滅び去ったが、朱熹の打ち立てた朱子学は、
時に陽明学という形に変われども、色あせることなく生き続けている。