06/11/30 16:11:15 ei78UFHb
人間なんて、そんな綺麗なものでもないですよ。修道院の尼さんの世界だって
どんなにドロドロしているか?所詮、皆、人間ですよ。神でさえ我でしくじられた
のですから、人間なんてたかがしれていますよ。けれども、悩める人に心の救いの道
しるべを示す人は、あらゆる苦労を体験し、そこから這い上がった人、病気なら病気
の苦しみを体験し、乗り越えた人、そういう人の言葉の方が生きていますよ。
品行方正で何の苦労も経験したこともない宗教家や作家の言葉には、打たれるものが
無い。その悩める人と同じ経験をし、同じ目線でしか、人の心を動かせることはできない。
フランス革命の時、マリーアントワネットが民衆に向かって「食べるもの(パン)が無いのなら お菓子
食べればいい。」という様な事を言ったそうですが、そういう頓珍漢な回答になると思いますよ。
梅原猛さんは、生い立ちのルサンチマンがあったからこそ、今の梅原哲学があるし。
五木寛之さんは、大陸で戦争中に経験した母親の傷が あればこそ、最近の円熟した作品があるのと違いますか?
お二人とも、寂聴さんと同じ様に穏やかな語り口ですけれど、芯が通ってて心打たれます。
寂聴さんは、子供さんを捨ててこられた事を後悔されて懺悔の気持ちで出家されました。
この罪は、彼女の問題です。捨てた人は捨てられるというような事を体験されるかもしれませんが
私は、懺悔されて罪の償いをされている事で もう充分ではないかと思います。
きっと、その後の善行で償われていると思います。