13/02/23 20:51:51.74
川辺敏幸(33歳)からの手紙
「今日もまたお菓子の差し入れをいただき、本当にありがとうございました。
四人で分けましたが、饅頭が二個余りましたので主任さんにクジ引きの立会いをして
もらい願いをこめて引いたクジで幸運にも一個をせしめることに成功しました。
残り一個は免田さんがものにし、尾田さんや大城君のうらやましいといった様子を尻目
に、舌つづみを打った幸運な一日でした」
(1978年11月16日午前10時頃福岡拘置所で死刑執行)
川辺敏幸の死刑執行の前日に母親(大分県)のところに
「福岡市の****番に電話してほしい」と電報が届く。
発信人がわからないまま電話をすると福岡拘置支所で
係員が「明日執行するので息子さんと一緒に朝ごはんを
食べてあげてください」とのこと
川辺敏幸は佐木隆三の著書「曠野へ - 死刑囚の手記から」に登場した実在の死刑囚。
免田栄は川辺敏幸と同じ拘置所だったこと、さまざまな死刑確定囚を見てきたが、
川辺ほど竹を割ったような性格の男はいなかったことなど発言している。
また川辺も佐木に、拘置所のソフトボール大会で免田と楽しんだ思い出を語っていた。
658 名前:名無番長 :2013/02/23(土) 20:49:35.08 0
裁判で川辺は
「死刑は望むところ。できることなら、この首を遺族の人に討たせてあげたい」と告白した。
1977(昭和52)年3月10日、福岡地裁小倉支部は川辺に対して死刑を言い渡した。
これに対して国選弁護士は控訴手続きを取ろうとしたが、川辺は承知しなかった。
弁護士は強引に控訴手続きを行ったが、その2ヵ月後に川辺は自身で控訴を取り下げる申立書
を提出し受理された。その結果、川辺に死刑が確定した。
その申立書には「このうえは、一日も早く、死者の御霊に詫びる為、自ら苦境に身を置く事こそ、
陳謝の意に叶う気が致しますので、早速控訴取り下げを致したようなわけであります」と書かれていた。