08/02/07 07:45:09
>>23
クマソとエミシについて景行天皇の直接言動(日本書記から抜粋)
景行天皇
「聞くところによると熊襲には厚鹿文(あつかや)、?鹿文(さかや)という強勇の者がおり手下も多く、
熊襲の八十梟帥(やそたける)と呼ばれているらしい。血気盛んでかなう者が無いという。」
景行天皇
「かの東夷は狂暴で陵辱も恥じず、村に長もなく各境界を侵し争い、山には邪心、野には姦鬼がいて
往来が防ぎ多くの人を苦しめている。その東夷の中でも蝦夷は特に手強い。男女親子の区別もなく、
冬は穴に寝て夏は木に棲む。毛皮を着て血を飲み、兄弟でも疑い合う。山に登るには飛ぶ鳥のようで、
草原を走る様は獣のようだという。恩は忘れるが恨みには必ず報いるという。矢を髪を束ねた中に隠し、
刀を衣の中に帯びているという。あるいは仲間を集めて辺境を犯し、稔りの時をねらって作物をかすめ取る。
攻めれば草に隠れ、追えば山にはいる。それで昔から一度も皇命に従ったことがない・・」
佐治敬三は戦前のガチガチの皇国史観教育受けてるから、名からのイメージをごっちゃにしたんだろうね