07/03/28 17:09:52
889 :栄光のタイソンクリット :2007/03/18(日) 11:13:31 ID:cCKXUBFR
わたしが、見聞きしたなかで 一番ディープで虚しかった 末路は
やはり、サリン事件の高橋の末路だったな。
彼は、いい人だったよ 物腰が柔らかくて 誰とも喧嘩しなくてというか
出来なくて、あの事件が起こって、十年の時日が過ぎた。
彼は 北朝鮮系のやつらの庇護を受けていて、一時プノンペンには沢山のオウムがいたよ。
夜のマンハッタンには、クリスマス時になると白い服で三十人のお仲間が薬物を楽しんでいたよ。
890 :おらは1万5千B :2007/03/18(日) 11:39:35 ID:AxRw1AJb
闇を見てますね。
で、888だ。末広がりでなんかいいことありそうな悪寒。
893 :栄光のタイソンクリット :2007/03/18(日) 14:07:24 ID:cCKXUBFR
オウムは1995年に プノンペンにNGOとして日本語学校を開設した。
そして、1996年から1997年まで独立記念塔のそばで沢山の日本人と
日本語を教え、1997年十月にから一月の間 日本に7000ドルだすと
百人のカンボジア人をだまし70万ドルを集めドロン
そして、またその一月後にプノンペンに帰ってきて、
他の場所オリンピックマーケットのそばに会社をつくった。
彼らの主な あじとは ちょうど63番どうりた集中していた
その大家は、すべて チャックラポン党であった。
チヤックラポン党は、国王のむすこで シアヌークは、ピョンヤンと北京を往復していたね。
シアヌークのボディーガートは、五人の北朝鮮のエージェントだ。