14/05/15 17:59:21.33 nxHKCupW0
>>675
>プラスに働いたのが旧作ヤマトだよ。どっちが欠けても違った結果になっただろうし、もう二度と
>同じ調合はできないんだから。
それはわかってるよ
ただ2人だけの功績でもないけどな
単に代表として全体に寄与なら、法的にも社会的にも西Pというだけな
>>678
>俺は西崎は文盲とかそういうレベルに近い
英語もしゃべる程度には堪能だったみたいだぞw
ようつべで胎動篇みな
しかも絵まで書き出す勢いがあったのは事実だわ
『宇宙戦艦ヤマト』への情熱―西崎義展さんを悼む 山本暎一
西崎さんが亡くなった、とファックスで知って、驚いた。
最後に会ったのは、「宇宙戦艦ヤマト 復活篇」(2009年)を、2人、事務所で見たときである。編集のシロウトっぽさが気になり、
「舛田(利雄監督)さんがやったの?」と聞いたら、モジモジして、「近ごろはお目にかかっていないので…」という。
私は、ハハーンと思った。一から十まで自分を通すには、口うるさい監督は邪魔なのだ。金さえ出せば、そこまで徹底するのか、と鼻白んだものだった。
出会いの最初は、45年も前だが、私がアニメ制作会社の虫プロの役員兼ディレクターとして、テレビアニメ「ワンサくん」(1973年)の
プロデューサー西崎さんと相対したときである。仕事を引き受けてもらえると思い、「じゃあ」と立ち上がる西崎さんへ、
私は涼しい顔で「まだ、きめてませんけど」といった。よっぽど気にさわったのだろう、それから何度もその話をし、怒っていた─
─彼は音楽ではプロだったが、アニメでは全くわからなかった。会議で、私が文句をいいだすと、「ちょっと待って」と全員を部屋から出し、バタッと土下座をして、
「教えてください」と額を床にこすりつけた。しかし、これほどもの覚えの早い人もめずらしかった。
テレビアニメ「宇宙戦艦ヤマト」(1974年)では、下手でも黒板に絵を描いて説明し、しまいには原画まで描きそうになった─
─映画にしたときは、客が前の昼から並んでいると報せがきて、西崎さんは感動して走り出していった。「ヤマト」の超大ヒットはそこからだ。
たしかに彼にとっては、アニメは金もうけの手段で、それも上手ではあったが、作品づくりになると寝食を忘れ、異常なまでの熱の入れようだった。
やりたい放題の遺作を残したのも、いかにも西崎さんらしい、のかもしれない。
(11月26日付/東京新聞夕刊・文化面)
>権利者が制作会社社長である西崎なのも普通のことなので、「自分が原作者である」と
>主張する者が片方に居る以上、西崎も対抗上原作者としても良いとなった、これが便宜上。
そこは全然違う
大ヤマトの裁判で「製作会社の社長個人に著作権はない」という一審裁定が良い例
代表して絵コンテや脚本、設定、音楽、編集その他にまで具体的に支持を出し
作品全体に寄与(総指揮)したから著作者に該当するというだけだな
でも松本は西崎と比較しても、創作者の代表には全く当たらない、部分的でしかないというのが著作者裁判の概略だわ
著作者裁判での反訴の内容は、純然たる確認裁判だから、そこを間違えて曲解しないようにな