12/07/05 02:49:34.78 3sUfYv7F0
>>506
問題の部分を読み返してみた
そこでの議論の流れを見ると、男性(少年)が物語の中心にいる物語構造が現在では崩れてきて、男性が不在の作品でも成立するようになってきた、という現状認識がまずあって、
さらに、オタク文化が男性中心から女性上位になっても新しい物語は生まれてこないのではないか、という問題提起がなされた。
その具体例として、けいおんは女性上位の典型的な作品だけど、そこに物語はないのではないかとしいう指摘が出てきた
それに対して奈須は、
けいおんは女性上位の世界を描いているのではなく、男性不在の世界である、そのような世界を求める視聴者は女性をマスコットと見なしているのであり、むしろ視聴者は女性を軽視しているかもしれない
と言っている
つまり奈須は、けいおんという作品を批判しているのではなく、作品を女性上位の構造ととらえるのが間違いであると言っているのにすぎない。
作品の中に男性は不在であっても、むしろ構造的には男性視聴者の欲望に応じて作っている点で男性中心の構造にある作品だ、と指摘していると自分は捉えた
けいおんの視聴者が無自覚に男性中心の見方をしている、という批判ならあるかもしれないが、作品そのものを批判しているとは受け取れない
また、奈須は自身の作品も男尊女卑の構造にあると認識しているというから、ここからも、奈須がけいおんが男性中心の作品構造だから否定している、という論法が当てはまるとは思われない
>フラットな世界(自分注:男女が物語構造的に対等な世界)を目指すのなら、『けいおん!』のように男性を消すのでもヒロインが惚れた弱みを一方的に見せるのでもない、対等な関係を考えるべきです。
という奈須の発言は、自分の作品もけいおん同様の構造的課題(男性中心の文化)を抱えていることを認めているものだと思う
ただし、奈須には自分が作ってきたような「大きな物語」がもはや必要とされないの時代なのではないかという危機感があることは読んで伝わってくる。
けいおんを、そういう意味での仮想敵と認識している可能性はある。しかし、以上から、奈須がけいおんという作品そのものを嫌悪しているという解釈は的を射ていると思わない
個人的には、けいおんの製作スタッフは女性が中心だから、スタッフは男性視聴者とは異質な問題意識と方法論を持って作っていて、
多くの男性の受け手が受け取っているのとは異なるメッセージを送っているかもしれないとも考えている。
そういう送り手と受け手の意識のずれが、けいおんという作品にはある可能性がある
ただしここから先は、けいおんのTV全編と映画をきちんと鑑賞した上でないと責任のある意見はいえないので、自分にはまだその資格がない