08/05/20 21:17:21
>>237
歴史は繰り返す、と言いますが
昭和帝がまだ摂政の宮だった頃、ロシアでは皇帝一家が射殺され
清王朝もいよいよ崩壊の兆しをみせ、隣国の皇室が次々と没落していくことを
憂いた母親の貞明さんが女官の影響を受けて祭祀にのめりこんだことがあり、
昭和帝の英国遊学をはばもうとし、それでも英国へ出発した息子に
呪いのような言葉を投げつけたと。
英国でキリスト教的結婚観(一夫一妻)を身につけた昭和帝は
九条家のわき腹に生まれた母の出自を恥ずかしく思い
後、遺伝疾患の噂があった香淳さんとの結婚を強行し
長いこと男児に恵まれず、側室をという周囲に勧めを断りつづけたことも
この母と子の関係を緊張感あるものにしたようです。