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和歌山市本町八丁目の自宅向かいに住んでいた荒古竹江さん(八九)は「控えめ
だけど立派な人」と振り返る。屋敷にヘビが一匹出たとき、通りかかった香具師が商
売道具にしようと捕まえにかかったのを庄一郎氏が「一匹ずつ買い取るからもとの所
に戻しておきなさい」と止めたという。
「釣りが好きで釣りざおをかついで腰にびくを付け、よく紀の川にでかけて行った」と
やはり当時近所に住んでいた上野山登美子さん(七九)。荒古さんは「ハゼを釣って
いたと思う。『川魚は苦手なんですよ。食べてください』と三匹、五匹と持ってきてくれ
た。十匹も釣れると『今日は大漁でした』と笑っていた」という。「午後三時ごろから謡
曲の練習をして、それから釣りに行くのが日課だった。よく後をついていった」と荒古さ
んの長男英一さん(六四)も庄一郎氏のことを覚えていた。悠々自適の隠居生活を送
っていたようだ。周囲の印象は、お金持ちの地主というよりも、「もの静かな学者さんの
家」で一致している。
川嶋家の田畑は同市粟、府中などにあったらしい。小作農家が収穫した米の管理を
任されていた同士府中、丸山実さん(昭和五十九年没)の息子芳男さん(六二)は牛
車に米俵を乗せて本町八丁目の屋敷まで運ぶのをよく手伝った。「米蔵のほかに本だ
けが入った蔵があった」と教育家らしい庄一郎氏の一面を記憶している。
これらの土地は戦後の農地改革で没収されたが、同市黒岩に川嶋家の山が残って
いる。その山は、地元の人たちの間で今も「川嶋山」と呼ばれている。
戦後の一時期、和歌山市府中に住んでいた。隣人の川崎一夫さん(六五)と妻初美
さん(六二)は、庄一郎氏が菜園の肥料にと道ばたの馬ふんをちりとり片手に拾ってい
たのを覚えている。「(馬には)何も食べさせていないのにふんだけもらってすまないこ
っちゃ」と言いながら。戦後の急変にもあわてず悠々たる風格があった、という。