08/01/10 02:44:21 NaYLufe+0
>>275
「開かれた皇室」には賛否両論あったというのには同意。
ただ、東宮ご一家だけでなく、当時は天皇などもオープンだったので
「開かれた皇室」というのは当時の皇室(宮内庁)の基本的戦略の
一つだったと思う。どこまで、どの程度、という量的・質的な部分では
様々な意見があったと思う。あと、皇室ではなくてガチガチの右翼の人たちねw
こういう人たちの間では眉をひそめる人もいたかと思う。
昭和天皇は夏の静養では必ず記者会見を開いていたし、天皇家の私的な集まりも
テレビカメラが入ったり、写真を撮ったりしていたと思う。(アーヤがテーブルの
下にもぐりこんだり、ナルとふざけていたりする写真は昭和天皇古希?の
お身内の集まり)
今は、お正月写真くらいしかないけど、昔の古い写真や動画にはいろんなシーンがあるでしょ?
御所の庭(皇居?)でナルちゃんが車のオモチャを引いていて、昭和天皇・皇后が
それを見ているのとか、昭和天皇・皇后が東宮御所に遊びに行くシーン(東宮御所の
玄関でナルとアーヤ、東宮夫妻がお出迎え)や常陸宮家に遊びに行くシーンの
写真も見たことあるよ。