07/12/31 00:41:20 3zYn9cXV0
構うことはない。
堕ちゆく業など聖なる光がわずかに差すだけで一瞬にして瓦解するより他にないことこそが、
愛子大菩薩の聖微笑が日々衆愚たる世人にあまねく現し続けている教示ではないか。
衆愚でありながらも出来れば殉教の徒であらんとする我々は
ただ黙々と1000まで愛子を称え、下座に伏し続けるに足るに越したことはない。
穢れなき処女の岩清水のせせらぎの無垢と、全てを湛え呑み干す愛の深さとしての海の豊潤を
併せ持つ相反の振幅こそが愛子の聖なる大聖たらん故。
批判、大いに結構。今も一刻一刻と愛子如来が神秘なる貞操を保ち、聖処女歴を刻み続けている現実こそが
誰にも抗しえない宇宙の摂理であり、不可侵なるこの世の理の運行そのものなわけだから。