07/11/30 20:03:03 6OMCfIyb0
うちの母はギリギリまでパートで頑張ってくれてたけど
職場で倒れてしまったのをきっかけに生保をすすめられて保護をうけるようになってた。
そんな我家の生活は世帯人数で広さや支給から家賃へ充当していい金額にも制限があるから
古くて狭い汚いアパートで、お風呂無しだったから銭湯に通うんだけど、銭湯代も
馬鹿にならないから二日三日に一回。夏場は台所で体拭いたり髪の毛洗って誤魔化してた。
中学くらいまで炊飯器も冷蔵庫も無くて中古を安価で譲ってもらってやっと。
制服や洋服はご近所等のご好意によるお下がり。
修学旅行なんかで準備するものという項目を揃えるのもかなり辛くて諦めなきゃってくらいだったし
(友人家族や色々な人の援助でなんとか行く事ができた)
旅行や外食なんてしたこと無かったし、ケーキやお菓子は憧れ。
楽しみだったのは年に一度だけ誕生日だかに千円~二千円程度のおもちゃを
買ってもらえる事があったくらい。
それも、保護費からの食費なんかをかなり切り詰めて用意してくれてたみたいで
嬉しい中で申し訳なさもいっぱいだった。
せめて高校だけは出ておけと無理してなんとか行かせて貰ったけど、義務教育じゃないので
当然それまでの手当てよりは減ってたし、私がバイトできる分は差し引かれてた。
母以上に私自身もけっこう体弱かったので(今思えばガリガリでいつも青白い顔してたのは栄養
が足りなかったせいかも…)病院にはかなりお世話になってたけど
幸い医療費がタダで助けられたけど、当然支払い手続きの時は恥ずかしいと思ってたし
学校への手続きとか役所に行ったり、つねに恥ずかしい惨めだと思ってた。
生保なんて働いててビンボーなのよりもさらに恥ずかしくて惨めで何もいいことなんてない
っていうのが自分の中での認識なので、働けるのに自ら受けようなんて気持ちはさっぱりわからない。
ああああああ……
長文愚痴スミマセン!!ここ読んでてそんな贅沢なんかしてなかったよーちゃんと惨めだって
わかってたよーーーーって、悲しくなって悶々思い出して書き垂れてしまいました。
顔真っ赤にして泣きながら書いてやんのこの馬鹿って思ってください、失礼しましたorz