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天木直人『さらば外務省!』
小和田恒―「その缶切り試したかい」
その夜私は、ホテルの一室に設けられた事務局に当番として詰めていた。皆が
寝静まった午前零時過ぎ、福田赳夫外務大臣の秘書官である小和田恒から電話
がかかってきた。雅子皇太子妃の実父である。用件は「缶切りを至急持ってこい」
だった。そんなものはホテルのルームサービスに頼めばいいのだが、部下に仕事
を言いつけるのが官僚の習性である。
ホテルのボーイに缶切りをもらい、外務大臣の部屋に飛んでいった。ドアをノック
しても返事がない。再びノックしてみた。しばらくしてドアがわずかばかり開き、その
隙間から眼鏡越しに小和田の目が覗いた。
「遅くなりました。缶切りを持参しました」
小和田はドアをわずかに開けたまま、その隙間から顔を半分だけ覗かせるように
して私をしばし眺め、やがて蚊の鳴くような声でこう言うのだった。
「その缶切り試したかい」
その意味するところが分からなかった私は、素直に答えた。
「試してはいませんが、切れると思います」
小和田は一言も発せずに私の顔を見つめた後、そのままドアを閉めてしまった。
呆気にとられた私は、しばし呆然と廊下にたたずみ、「何がいけなかったんだろう。
このまま帰る訳にもいかないしなあ……」と思案した。
どれくらい時間がたっただろうか。やがてドアが再び開き、缶切りを持って立って
いる私に無言で手が伸びてきた。私は慌てて缶切りを渡した。無言のままドアは閉
められた。私はホッとした気持ちで、事務局のある部屋へ戻っていった。
( 中 略 )
「ありがとう」の一言さえ若い職員にかけることのできない、成績至上主義の人間の
みが事務次官というポストに上り詰める。外務省とは、そういう組織であることを、私
はその後の外務省人生で嫌というほど見せつけられるのであった。