07/09/05 18:32:44 Sz+a0bSl0
続き
武装蜂起が発生する1942年9月12日直前の52日間で、
約30万のゲットーの住民がトレブリンカ絶滅収容所に送られ殺害された。
ユダヤ人の「追放」が始まった当初、ユダヤ人の抵抗組織のメンバーは会合を持ち、
ドイツに対して戦わないことを決定していた。これは、ユダヤ人が殺されるのではなく、
労働キャンプに送られるだけだと信じていたからであった。
しかし、1942年の終わりには、「追放」と言うものが死の収容所へ送られることがわかり、
残ったユダヤ人は戦うことを決定した。
戦闘は5月16日まで続き、反乱勢力は貧弱な武装と劣悪な補給の元、粘り強く戦ったが、
最終的にユルゲン・シュトロープ親衛隊少将により完全に粉砕された。