08/07/11 01:51:30 MvHnkxFo
>>70
それ程大変で苦労しているなら、このスレの初っぱなから"聴覚障害者は甘えてる"と書かれた事に何故貴方は反論しないのですか?
私はここで言ってる聴覚障害者=聾者と思ったから反論してるのですが。
今の貴方の話、悪いけど読んで全然辛そうに感じない。本当に苦労と言えるの?
失礼かも知れないけど、精神が負け、ただ運命の流れに任されていただけの様にしか感じ取れない。
確かに奇形は精神的に辛いかもだけどね。
片耳を失い、且つもう片方に最重度補聴器で僅かに声が分かる程度でも偏差値70は行ってた。
努力なしでじゃなく、障害に負けないように努力してです。
自慢と取られるのも嫌なので、偏差値なんてあんまり言いたくないけどね。
音楽は当然として英語も苦手で、中間、期末テスト以外にも英語だけのテストがあり、ノートにビッシリ何冊か練習して授業中に前に招かれ褒められたのを今でも覚えてるよ。
それでもヒアリングがある英語はほかの教科に比べ多少見劣りした。
だから他でカバーした。
許可貰い、テレコで授業を録音して帰ってから聞き直す等もしていた。若い女性の先生から嫌がられたので、素直にそれ以後止めた。多感なお年頃だから仕方ないと思った。
教科書上、円周率が3になる前の話ね。今でも3.1415926535897932384まで覚えてる。チェックしてないからどっかとち狂ってるかもだがw
国語の教科書の詩も覚えてるの結構あるよ。
リコーダーも練習してたからアニメソングまで出来た。
今でも指が覚えてるかも知れない。
両耳を失った時、挫折しそうになった。聾学校へ行った。
皆明るく優しい人ばかりだった。
今でもあの人たちのお陰で救われたと思ってる。
お礼に最終学年で皆が嫌がるような仕事を進んで引き受けた。
纏め役や校内新聞製作など二足草鞋を履いたりしていた。
小遣い貯めワープロを自費購入してね。今では考えられない位遅かったし、画面も一行しか表示できない代物だった。
ブラインドタッチはそれで覚えた。
技術は自分の財産になると考えていたから苦ではなかった。
寮の消灯後も寮母さんの部屋の明かりでやった。当時はバックライトもないからね。
あの頃が懐かく恋しいよ。
彼らを悪く言うのは止めてくれませんか?
聾学校高等部卒就職組は素直な人多いよ。学校次第かもだが。
年金が貰えた時は吃驚したね。大切に有意義に使わせて貰ってます。