08/02/06 13:17:04 GLnqPFQm
>>182さんの見解は自分も同感です。
何年か前に有線のヒストリーチャンネルで、ナチスドイツのプロパガンダ映画の
特集をしていました。その中で1943年ころの知的障害者の入所施設の光景が映し出され
それとともにナレーションが入ります。
「ここにいる知的障害者どもは人の支援がなければ生きていけない無能力者であり、このような
者たちのためにドイツ国内では3万人もの福祉従事者が無意味にも働かされている。なんら生産
することなく1日1日を生きていくだけの、このもの達の存在は家畜以下であり、憎むべき
ユダヤ人同様処刑されて当たり前の者たちである。いずれこのもの達はガス室におくられる
ことになるであろう。」
自分は、涙が止まりませんでした。一説には7万人とも10万人ともいわれる知的障害者が、
ガス室送りになったとの話もあります。
自分大学に入るまで「憲法」というものは国家が国を治めるための法律だと勘違いしていました。
しかし戦後の「憲法」は国民を国家から守るためにつくられたいわゆる国民の権利を説いたもの
だと知りました。
182さんのいうとおりもしナチスが再興され今度は「ニートは家畜以下の存在だから死んで当たり前」
とかダルマ師は証券関係のお仕事をされているようですが、「人のお金右から左に動かして、不労所得を
得て贅沢している資本主義者のコバンザメ」とかマルクスみたいな人が現れて粛清なんてことも考えられます。
法律というものは生きる上で守られるものでなければならないと思います。
もちろん脳死状態で改善の見込みがないとか、がんの末期で本人が苦しみたくない
などのうえでの「安楽死」ということは選択の余地はあると思いますが、親に「安楽死」
をさせる「権利」は考えもののような気がします。