07/11/19 20:55:47 xLpppYz4
出来るとも言えるし出来ないとも言える。
世界っていうのは自身を中心とした価値観でしかない。
現実の世界を覆うことなんて出来はしないのだから。
その世界での判断基準は自分のみだ。
自分に負けなければどのような人間にもなれるだろう。
しかし人間という群社会は自身と異なる者を駆逐する集合体だ。
自身が善良であるという安堵を得る為に、判りやすい悪を求めるワケだ。
とりわけ、俺たちはその「悪」とされやすい。
所謂、「何をしたか」ではなく「誰がやったか」という考え方だな。
純粋であるのは良いが、馬鹿にはならないことだ。
進むのなら、自身の行いに後悔などするべきではない。
「世界で一番優しくなりたい」
これは確かに綺麗で素敵な願いだと思う。
目指すに値する理想とでも言おうか。
だけど、「一番」と順番をつけることに意味はあるのだろうか?
順位を付けた時点で
「自分より優しくないヤツ」
という存在を自分で定義しなければならない。
優しいヤツってのは自分より下がいなければ気がすまないのか?
それは唯の偽善者だろう。
願いっていうのは「できるか」じゃなく、「どうやってするか」にすべきだ。
ならば、ただひたすらに「優しい男」を目指すべきではないか。
そう俺は愚考する。
文章も、考えも低レベルな俺が言うのがおかしいといえばおかしいな。