07/08/04 05:22:09 qqaDCvOH
「ゼロ・トレランス」という教育方針がある。「トレランス(tolerance)」とは「寛容」のことである。
荒れる学校教育の場で規律を乱す生徒に対し、「一切の寛容を認めない」を教育をして、ゼロ・トレランスという。
多くの池沼たちが、これまで、謂われなき迫害を受けてきた背景があるだろう。
教育にあたっても、教育関係者の数々の不備が、池沼らを不遇に追い込んできたかもしれない。
だが、現状、何もかもを寛容する風潮が教育であるのか?「天使」などと礼賛することが池沼のためになるのか?
健常者であっても教育に不備があれば、いともたやすく過ちを犯すのである。池沼ならば、なお教育が必要であろう。
池沼だから、健常者とは違うのだから・・・とは教育の放棄である。いき過ぎた寛容である。
このいき過ぎた寛容をゼロ・トレランスに対し、「オーバー・トレランス」と提唱したい。