正規の奇形児スレッドat HANDICAP
正規の奇形児スレッド - 暇つぶし2ch350:白カラス黒ヒツジ
06/12/30 20:00:17 y8PBAYyj

  子孫を受けることの無い人は、もう少し大きな視野を持って

  生き方を考えるべきだ。世のため、人のためになっているかが問題。

  それが広い意味で人間が子孫を残すのに役立つことになる。


351:白カラス黒ヒツジ
06/12/30 20:00:56 y8PBAYyj


352:白カラス黒ヒツジ
06/12/30 20:02:06 y8PBAYyj

人間としての約束事、



健康であること

心を生かすこと

人間としての常識を知ること。

お金を少し持つこと。

世の人のため役立つこと。


353:以下、宇宙の仕組み
06/12/30 20:02:45 y8PBAYyj


354:以下、宇宙の仕組み
06/12/30 20:03:22 y8PBAYyj


355:以下、宇宙の仕組み
06/12/30 20:04:29 y8PBAYyj
宇宙の仕組み


神界 暗黒神の大神  太陽神 何でも出来る。

仏界 安らぎ

宇宙界 うそ偽りない

自然界

霊界 死後

人間界

地獄界

人間の差の問題。  親としての責任問題。子を育てる責任。 
  
男性の生き方。女性の生き方。


356:以下、宇宙の仕組み
06/12/30 20:05:20 y8PBAYyj


357:以下、宇宙の仕組み
06/12/30 20:05:55 y8PBAYyj
   方位学 風水

   運命を変える、  因果の法則、  運命と占術の意味
 
      六星占術


358:以下、宇宙の仕組み
06/12/30 20:07:13 y8PBAYyj


359:以下、宇宙の仕組み
06/12/30 20:07:56 y8PBAYyj
宗教は 神教、仏教、キリスト教、イスラム教、ヒンズー教、等

360:以下、宇宙の仕組み
06/12/30 20:08:57 y8PBAYyj

  先祖供養を行うのは仏教  

  釈迦の仏教→中国→日本

  神の崇拝と仏教の崇拝の神仏戦争が起きて

  仏教徒が勝って聖徳太子が元祖となった。


361:以下、宇宙の仕組み
06/12/30 20:09:53 y8PBAYyj


362:以下、宇宙の仕組み
06/12/30 20:11:23 y8PBAYyj
釈迦は神界、菩薩同、正しい心の道、人間の心が

神の位まで高められた人を如来(にょらい)と言った。先祖供養はない。 

孔子は先祖供養の道、「先祖は手厚い霊廟(れいびょう)の祭事を受け

子孫よくこれを保つ。」 本来は、宗教と先祖供養はまったく別だが、

宗教に先祖供養が取り入れられた。宗教と先祖供養の違いを知って、

やっときちんとした先祖供養のあり方、先祖の霊を慰め喜ばせる方法を

理解できる素養を身に付けられたと言うことが出来る

363:以下、宇宙の仕組み
06/12/30 20:12:03 y8PBAYyj


364:以下、宇宙の仕組み
06/12/30 20:13:35 y8PBAYyj

先祖は、誰がどう祀るべきか  先に亡くなった肉親を先祖と言い、

生きている子孫が祀って、初めて先祖の供養が出来る。  

生者は、先祖とのかかわりを明確にするために自分自身の氏素性と

自分の置かれた立場を知る必要がある。系図に基付く。

正しい仏壇の祭り方。 

開眼供養を行う。 花 線香 ローソク お供えの和菓子 水とお茶、、、等等、、。
  
正しいお墓の立て方。 水子 養子縁組  色々  骨のこと、、など。


365:以下、宇宙の仕組み
06/12/30 20:14:07 y8PBAYyj


366:以下、宇宙の仕組み
06/12/30 20:15:19 y8PBAYyj
日本の中の神様  自然界の大神 天照大神様   近世人間史の大神様 

367:以下、宇宙の仕組み
06/12/30 20:15:59 y8PBAYyj

  とん、 人の物を何でも欲しがる心根の卑しきもの

   じん  真理を見抜く心を失い、正しい生き方の解らない迷いの心根を持つ者。

   ち   無知 世間知らず


368:以下、宇宙の仕組み
06/12/30 20:16:39 y8PBAYyj
暦学 安部清明の陰陽道 

369:以下、宇宙の仕組み
06/12/30 20:17:20 y8PBAYyj

「人間の生き方」

幸せを得るための生き方の基本

生命を養う 食の意味 常識としての作法→言葉を話す。身だしなみ   仁 義 礼 智 信


370:以下、宇宙の仕組み
06/12/30 20:17:52 y8PBAYyj


371:以下、宇宙の仕組み
06/12/30 20:19:20 y8PBAYyj

 、

372:以下、宇宙の仕組み
06/12/30 20:19:54 y8PBAYyj


373:以下、宇宙の仕組み
06/12/30 20:21:18 y8PBAYyj



374:以下、宇宙の仕組み
06/12/30 20:22:28 y8PBAYyj
君子とする子の、あり方、 子供は両親の間にあって、

一心に愛情を受けて育ちます。そして、両親をはじめ祖父母や

兄弟姉妹の中で助け合いともに喜び、時には喧嘩をしながら

毎日を送ります。このように家族が大勢いるほど、

人間関係のすばらしさ、難しさが学べ、社会の一員として生活して

いくための基本が実につけられる。 日々接していく中から、

その子の特質を見抜いて、それを伸ばせるような道を与えてあげること。

そして、学問を理解していくための、基礎となる部分を

躾として養ってあげること。
 

375:以下、宇宙の仕組み
06/12/30 20:23:01 y8PBAYyj


376:以下、宇宙の仕組み
06/12/30 20:23:45 y8PBAYyj
君子とする子の、学問の授け方、 個の人間性を生かせる

仕事に従事させる学びをさせるのが本道。

377:以下、宇宙の仕組み
06/12/30 20:24:29 y8PBAYyj


378:以下、宇宙の仕組み
06/12/30 20:25:16 y8PBAYyj
家族の中での人間関係、それぞれの役割、助け合い、学び、本能を生かす。  

夫婦とは、「相愛し、相信じ、相敬し、相親しむ


379:クソ 眠い
06/12/30 20:26:47 y8PBAYyj
人間の寿命→3百歳まで生きる超人に達する学び 超人の定義 心得



380:クソ 眠い
06/12/30 20:27:41 y8PBAYyj


381:クソ 眠い
06/12/30 20:28:15 y8PBAYyj
有意義な時間の使い方。

習慣の定義 挨拶や歯磨きお参りお供えなど。

知性と学問 

指導者の資質 教化のこと。包容力や統率力 幅広い知識



382:クソ 眠い
06/12/30 20:29:01 y8PBAYyj


383:クソ 眠い
06/12/30 20:29:33 y8PBAYyj
社会の仕組み」

社会とは何か  社会は人間の集まり。

国家という社会 カルチャー 伝統、民族   

男性がかかわる社会 経済力を身につけて妻子を養うこと

女性がかかわる社会 男性の補佐


384:クソ 眠い
06/12/30 20:30:22 y8PBAYyj
法のあり方 真面目に正しく生きている者が安心して暮らせる

世の中にするため、法が必要      

医学をめぐる法案   女性をめぐる法案、、に関して



385:クソ 眠い
06/12/30 20:31:14 y8PBAYyj
経済の根本概念  

必要なものを手に入れるためにお金と物を流通させる社会の仕組みが経済。

386:クソ 眠い
06/12/30 20:32:05 y8PBAYyj


387:クソ 眠い
06/12/30 20:33:18 y8PBAYyj
仕事をすること。経済の基本は仕事。 

企業は人なり。

不況問題。不況の行方について、、、、。


388:クソ 眠い
06/12/30 20:35:13 y8PBAYyj
  バカヤローwww、、マジねむてー、、、。

                _ -‐- 、 _
            ,. r-<、/ ̄`ヽ、   `\_
             ||/         ̄ ヽ  ヽ`\
          , -〉′'     l       \  \ ! ,ハ
        / / , ,′/ ,ィ|', ヽ,  i \  , V ∠ _
        // 1 ,' l  | 」_|∧ '、 i  |ヽ. _, 、 i , 仏ヽ、
        ! / j , |j |´/ ,ゝ、| 、 |ヽ,、<\| |∨ i
   , - 、   j/ 〈 / ∧/ / ! ヒメヽヾT´ヒソ ノ レハ|' i  l
   {  }     { /  八)     r  `     _少′!  |
    l |      !  ,′, \  t- -1   /′i  ¦ |
  , ┤ !、    | ,' / _」ヘ、|  / ,.ィ' l   l  ¦ |
 (      \,、 -‐v'ニ、 ̄ \ くl`ー '´ |\l   l  ¦ |
 |ヽ  い'   _ 、イ \ ヽ   \ \  ´冫 > 、!   !  |
 l\辷 イー ´  | 丨 ) !     >ヘ./∠、   \!  |
  ` ー ' \._   ! ゝ  ト、  〈_i_/ハ\_〉    > |
        |    ̄7    i ヽ   ! /  !|  ,' ,ハ |





389:クソ 眠い
06/12/30 20:36:09 y8PBAYyj


390:クソ 眠い
06/12/30 20:37:01 y8PBAYyj
政治のあり方。  法律や経済を大局からつかさどる。

政治は国家の全ての業務行事、まつりごと、を治めていく

行政のあり方。政治家の資質 省庁 「省く」

大蔵省 国家の台所 公平に無駄なく予算を算出する。

建設省 国造り

文部省 国家の文化を育てそれを守る。

厚生省 国民の生命にかかわる重要な仕事 食物の検査 医療 社会福祉

法務省 国家の治安を守る仕組み



391:クソ 眠い
06/12/30 20:37:49 y8PBAYyj
マスコミ 報道の自由

自由とは、 約束事を守る前提 定めた掟、約束事をきちんと学び、

それを守って生きる人のみ許された権利。

精神の自由  肉体の自由



392:クソ 眠い
06/12/30 20:38:31 y8PBAYyj
「国家について」

国家の繁栄  教育指導にあり。



393:クソ 眠い
06/12/30 20:39:18 y8PBAYyj
世紀末を迎えた日本のあり方。

日本の未来。


394:クソ 眠い
06/12/30 20:39:55 y8PBAYyj
。、

395:クソ 眠い
06/12/30 20:41:16 y8PBAYyj
指導者のための宰相学 心得 哲学 資質を見抜く

外交の心得日本の代表者、日本の顔 相互理解 共存共栄

世界の人種の問題。 その国の持つ民族の文化、生活、その民族の本質、

実体を学び互いに敬意をはらう。

世界平和 国連は機能していない。  真心で話す。

国連のあり方。

戦争の持つ意味 戦争の様様な動機  

譲歩しようがない主張  民族の名誉を守るとき。 経済問題に関するとき。

 宗教を守るとき。  国土を守るとき。



396:クソ 眠い
06/12/30 20:42:12 y8PBAYyj
「心のあり方。」

青少年、少女のあり方。 青年は鍛える。、躾


397:クソ 眠い
06/12/30 20:43:41 y8PBAYyj
活学 学んだことを実践して活かす。

知識とは、欲しい情報を迅速かつ的確に手に入れる能力

見識 見聞を広めること。世の中を出て旅をする。ことが一番

たんしき とは どんな事態が起きても微動だ似せず、正しい精神でことを選び、

切り開くこと 知識と見識をふかめてかのうとなること

中庸道の学び バランス


398:クソ 眠い
06/12/30 20:44:18 y8PBAYyj


399:クソ 眠い
06/12/30 20:45:25 y8PBAYyj



400:クソ 眠い
06/12/30 20:45:58 y8PBAYyj
易変える 変わる (おさめる)易「か」 かえることができるから 
変わるのであって (易)変わればそれをよくおさめる
占いは、人間の持つ運命を予言するものですが、それは、
その人次第で運命が変わる。
人間の運命は転地自然と深いかかわりがある。
生命について 人間が生きることは 生命を維持すること

時間とは、約束、約束事と言うこと 古代中国発祥 天文学 暦 太陰暦から太陽暦

生命の養い方、 ひとそれぞれ、体力同様 強弱がある。 生命の鍛えかた。善悪 健康



401:クソ 眠い まだ続くのかよww
06/12/30 20:47:09 y8PBAYyj


402:クソ 眠い まだ続くのかよww
06/12/30 20:47:47 y8PBAYyj
真の健康
思考力を養う 健康な身体を持つと 考え方も健康になる。
行動力を養う。心で感じて思考力が働き、それが行動を呼ぶ

金縛りについて 浮幽霊がはいりこんでかさなってくるしいじょうたい
 
供養関係の活動の必要

心と脳の仕組み 頭脳と心は違う



403:クソ 眠い まだ続くのかよww
06/12/30 20:48:23 y8PBAYyj


404:クソ 眠い まだ続くのかよww
06/12/30 20:49:12 y8PBAYyj
「心を知る方法」


人間の本質と実体 人間の本質、実体は、人間の内面心の奥底のこと

人間の持つ本質 善と悪

人間の持つ実体 善悪がはっきりと表面に現れた人間の姿。

本質実体を養うには 客観的な視点に立つ。

幸と不幸 陰と陽

心の中に棲まうもの  執着 深層心理

節度を保つ 欲を抑える。

意識について  意識は生に直接結びついている 心を養う



405:クソ 眠い まだ続くのかよww
06/12/30 20:50:40 y8PBAYyj
夢を見る意味  意識の奥にあるもの

人間の持つパワー 正しく持った心のあり方を 実行する意思のこと

人間の持つ業 その人の人間性を問うようなよくない性質をあらわす言葉。

楽しみとは 楽しむ 喜ぶ 遊ぶ 精神の健全を保つリラックス

度を越さない。不快感をもたらさない。

たましいの実体と本質

霊しいの実体 人魂 燐

たましいの本質 心臓に宿る酸素の塊 人間のエネルギー



406:クソ 眠い まだ続くのかよww
06/12/30 20:51:24 y8PBAYyj
たましいの養い方 環境の問題。
心とあらたま たましい あらたまはたましいが上昇した姿。
人間の持つ特について 得 得質生まれながらに備わっている得分

得性 よい面

得力自分自身で学び修行してとくの力をつけていくことで得性特質を

自分の力によって完全にいかせる力



407:クソ 眠い まだ続くのかよww
06/12/30 20:52:28 y8PBAYyj
観察力の養いかた 目で読める性格 声でわかる心 

顔でわかる心のありかた

皮膚で読める病気 

相続について 個人の死を悼み、つつしみをもってことにあたり、

個人の生前の志をきちんと受け継いだ上で金品や地位をまもる

相続した財産の使い方 使い方で運命はかわる。


408:クソ 眠い まだ続くのかよww
06/12/30 20:54:04 y8PBAYyj
人格について

お金の使い方で解る人格

ひまな時間をどう使うかで解る人格 お酒の飲み方で 約束事を守る。

信用とは、 その人に身についた財産 絶対にうそはつかない 

約束事はきちんと守る。 常に責任を持ってことにあたる。

神経とは、 生 生きていることにつながる。正常異常過敏 無神経衰弱

六星戦術のこと→占い関連板でやってるよ


409:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/30 20:54:53 y8PBAYyj


410:画像無しの奇形児スレですね  
06/12/30 20:56:54 y8PBAYyj
奇形児はぶっちゃけ  ここの保護の世界のみの領域では、

細木の六星は破綻している。教養の継承以前の領域であり、

ある意味科学や宗教、芸術より、もっと深い領域の問題なのだ。

ここでは、家計だとか、先祖だとかいうもの以前の問題となる。
  


411:白カラス黒ヒツジ
06/12/30 20:58:08 y8PBAYyj
  

  ちょっと休む、、m(。。)m

412:白カラス黒ヒツジ
06/12/31 01:56:45 Dxq5drH2
,


413:白カラス黒ヒツジ
06/12/31 01:57:30 Dxq5drH2
,

414:白カラス黒ヒツジ
06/12/31 01:58:04 Dxq5drH2
,


415:白カラス黒ヒツジ
06/12/31 02:58:29 Dxq5drH2
.


416:白カラス黒ヒツジ
06/12/31 03:02:29 Dxq5drH2
.

417:白カラス黒ヒツジ
06/12/31 03:04:11 Dxq5drH2
もう一回、寝まつ  m(..)m

418:白カラス黒ヒツジ
06/12/31 08:15:02 Dxq5drH2
      ここから先は、来年にすることにします。

      ,.-‐''^^'''‐- ...,
    ; '          ヽ  
   .;'           ミ 、、、
    ;    ノ)ノ)ノノ)人ヽ)
    ; .,,  ノ ,.==-    =;   ☆
   ( r|  j.  'uー、  ,,.=f ∠
    ': ヽT     ̄  i  }         ___×
    ノ . i !     .r _ j /         \~~/
   彡 | \  'ー-=ゝ/ =ャ =ャ      ノ') |(ヽ
     人、 \   ̄ノ         / /. | |ク
-‐  ̄    ' ーイ ̄ー-- 、     ノ  入.|.|( )





419:スレ主
06/12/31 08:33:46 Dxq5drH2
104、107<<既に私が、一通り完了してきた奇形児スレについて知っている人は
お解りいただけるでしょうが、ここから先は、史上最悪スレの内容となります。
ですから、一部の人にしか付いていくことが出来なくても不思議な話ではないですが、
法務関係者、ボランティア関係者、刑事関係者、自衛隊関係者は、必見の領域です。
,..、    /´,!
.      l l ,....、 ! l
_      l/`く ,. V  /
     i' ヽ ヽ、   !         
    l i'    /
.     !       l
      !'´    .!      
      !     i
.      !     .i
.      l        i                ___
      !        i               ,r'´    `ヽ、
      !         i、               j'        ヾヽ、
      !         ヽ          l            ヾヽ
     l.          ヽ          ノ_,... --‐ '''"´ ̄ ̄ ̄`` ー、._
.     !        ヽ  (`ー‐''"´ ̄_,. ---、......____           ヽ
.      i          i  ヽ、    r'_,.   _ー‐  `l ー 、_       ヽ
.        i            l     ヽ、 l-‐r'   ̄` ー  ,!..._,r‐‐、       .!
       l            ヽ      `ー! (  _ i、       r i !      ,!
       !           ヽ     l j jiiiiiiiiiii、       イi     ,..イ
         ヽ             ヽ、   .l jil''""ヾlli. i    `´ ll!..-‐' ´
            ヽ             ` ー、.ヽ" !、__,ノ ゛ !        !
             ヽ            ,..l ,ー‐'  ./       .ト-、
              ヽ          r'´ l´ i  ノ   /     ソ !、
              ヽ        ,r'   _,..ゝ、  _,.-'´     //  `ヽ、_
             ヽ     ,r' _,ィ'´   l -二      ,r',r'       ,r'´ヽ、
               ヽ、 ,r',..-'´/´    、_,.. -    ,r',r'       r'´``ー、 ヽ、




420:スレ主
07/01/01 10:49:47 l4WGcLO4
511 :m(。。)m :2007/01/01(月) 07:52:08 ID:e/uhNSU8
皆さん、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
今、朝っぱらから迎え酒をしておりすw。今年の初詣は行くことは
ないですが、元旦から正直忙しい。散りあえず当直の人お疲れさんです。




421:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/01 11:31:36 Xr/4gQSV
なんだこの意味不明なスレは

422:スレ主
07/01/02 16:26:37 ZLplHHKw
   ∩___∩
   | ノ      ヽ/⌒) あばばばばばば
  /⌒) (゚)   (゚) | .|
 / /   ( _●_)  ミ/ 奇形児スレとテンプル騎士団スレ、軍事スレ 
.(  ヽ  |∪|  /  福祉スレ、犯罪スレ、ボランティアぶっちゃけスレ   
 \    ヽノ /  奴隷スレ、正攻法で性を扱うスレ、受胎スレ、その他の予定のスレが    
  /      / ございますが、私が去年の5月からスレッドをやってから、7ヶ月が経っています。     
 |       /当時私が予定していたのは、テンプル騎士団スレと奇形児スレ   
 |  /\ \  精神医療関係スレのみの予定だけでした。そのうち精神医療スレは    
 | /    )  )来年にする予定でしたが、少し急ぎすぎたかも知れません。今回、      
 ∪    (  \ウィルスと偶然によるパソコンの破損が重なりすぎました。       
       \_)恐らくスキミングであるていどのデーターはどこかに流れてしまっている
ことであると思われます。自分の余裕が無く忙しすぎて保存する余裕も無く破損した
データーがいくつかございます。従って、私のスレの期間は、そのせいで大幅に延長することになります。
ウィルスの件に関しては、占い板のメンヘラのスレの途中で1回破損していったもの
双葉ちゃんねるのグロ板で1回破損したこと、そして、2次グロ板で2回破損した経験はございます。
ご注意ください。予定としては去年中にスレは完了する予定でしたが、12月に少し予定が
延びるものと判断しましたが、今年に入って更に延びる事になると判断しました。
長すぎても10年、早くて2年の予定です。私は別に法に触れて誰かに罪に問われる
ような覚えは一切ありませんし、今後も注意して進めていく予定です。何か問題が起きても
私は常識的に冷静に対処していくだけのことです。ただ、軍事スレと奇形児スレだけは
一通り、ぶっちゃけると言う形で乱暴ながら、取り敢えず、急いで一発かます予定です。

423:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/02 20:05:17 ztnBD264
メーーーーイ!メイメーイ!

424:てめーコノヤロー
07/01/03 03:06:47 b/ZRdBuX
503 :鬼丸 ◆ONI/NFl2yg :2006/12/30(土) 08:52:09 ID:0NuFpsbJ
おぅ!めー子!
派手に暴れとるようやのう!
たいがいにしときや!
おてんとう様が許してもワシが許さへんて!


504 :↑ :2006/12/31(日) 07:20:29 ID:GaFYcm0I
かわいいよ、おにまうう、っつかヤクザか警察みたいなことをいうやっちゃなw

わしゃ、警察より、キツイで


505 :鬼丸 ◆ONI/NFl2yg :2006/12/31(日) 08:43:48 ID:SjBx9Vf5
奇形児をネタにして遊ぶんをええ加減やめや!
奇形児とその家族のつらさを思い知れや!!

        クルクル
          _ /lミ ガン
    _, ,_  l /| ̄ l ガン ガン
  ( ゜д゜).. | |. |   | ガン ガン
    ⊂彡☆|_| .|__|))A`)ノ ガン
        .::|/彡 ガン ガン>>504


425:てめーコノヤロー
07/01/03 03:07:31 b/ZRdBuX
507 :鬼丸 ◆ONI/NFl2yg :2006/12/31(日) 12:35:01 ID:SjBx9Vf5
ワレ道徳の勉強サボっとったんとちゃうか?

            /::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::\
            /:::::::::::::::::::ノ ̄ヘ::::::;―、::::::::::::::::::::::::ヘ
          /:::::::::::;-' ̄     ̄    ̄ヘーァ:::::::::i
          i:::::::::彡              ミ:::::::::::ヘ
          |:::::::メ   ........        ......,   ヾ:::::::::::|
          |:::ノ   /   ヽ    /   ヽ ミ::::::::::|
          |::| /    _       _    ヾ::::::l
          |::|    イ(:::)ヽ     イ(:::)メ    |::::::|
          |ノ i    `ー'ノ i    ヽ` ~    イ::イ
          | j }    ~~  ノ;            い
          ゝ:.:.{: . : .    γ    ,、 )、      i丿
          厶:.:.ヾ : .    ` ''`  ~   ヽ     ノつ
          /i:.:.:.:. : .       ,_    i    /
        /  ヘ:.:.:. : .  i   ハニエ!-!‐ヽ |    ,イゝ、__
      /|     ヘ:.: .  │〈.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:ノ ノ    /   \:;:- 、 _
    /:;:;:;:;ヽ     ヽ   ! ヾエエEァ´     /      i:;:;:;:;:;:;:;\
  /:;:;:;:;:;:;:;:;:;:ヽ      \  ゝ、:::::::::::  '   ノ       |:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;ヘ
/:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;ヽ      \        /       /:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;i
:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:ヽ       ` ー--― '         /:;:;:;:;:;:;:;;:;:;:;:;:;:;:;:;ヽ
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:;:;:;:;:;::;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;\                 /:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;|


426:てめーコノヤロー
07/01/03 03:27:57 b/ZRdBuX
82 :鬼丸 ◆ONI/NFl2yg :2007/01/01(月) 19:14:04 ID:9pNt5yf2
お前ら人間たちは死が怖いだろ?
83 :鬼丸 ◆ONI/NFl2yg :2007/01/01(月) 19:17:42 ID:9pNt5yf2
ホントは生まれてくる方がよっぽど怖いんじゃい!
84 :鬼丸 ◆ONI/NFl2yg :2007/01/01(月) 19:25:17 ID:9pNt5yf2
耐えきれぬ苦痛の末に神が用意した褒美が 死 だ
勘違いするなよ
85 :鬼丸 ◆ONI/NFl2yg :2007/01/01(月) 19:29:06 ID:9pNt5yf2
肉体という牢から解放されるんだからな!
87 :鬼丸 ◆ONI/NFl2yg :2007/01/01(月) 19:45:57 ID:9pNt5yf2
めー子よ 奇形児としきりに言ってるが彼らは俺やお前より
数段魂のレベルは上なんだからな
健常でない肉体をもって生まれたという事はそれだけ困難な事に
挑戦してるって事だからな
それだけで尊敬に値する
そしてその人生を全うした時さらに
普通の人より数段上の世界にいけるんだ
そうしてあるところまで成長した魂は生まれなくなる
つまり人間界での修業を終えた事になる
止めじゃ、、、ちなみに、メンヘラは刃物を持ち歩いているそうです。過去ログにあります。
おっぱいもこれには友好的でした。こいつらは、色々と隠していることが
あるにちがいありません。
そして、普段広告代理店の会社のパソコンを使ってスレをしているそうです。
占い板の管理人そのものがメンヘラによって型にはまってしまっています。
もしくは、管理人が犯罪に手を染めている恐れもあります。御注意を。
スレリンク(fortune板)l50 メンヘラ
423の(恐らく)鬼丸はメンヘラの犬です。 おかしいと思ったら通報ヨロシク
過去ログに50スレ以上残っているはずですから、、、、、。








427:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/03 03:32:02 b/ZRdBuX
426の名前の欄、はあ?423は何を言っているのか、、、のつもりが
入力ミスです。

それと、メンヘラの件では、恐らく、2ちゃんの関係者で逮捕者が出る可能性も
あるのではと思われます。

428:ミジンコ
07/01/03 03:48:22 b/ZRdBuX
   初めまして、ミジンコです、、、ピンピンピン、、、、。

おっぱいがメンヘラを踏むのはリスキーだよと理由はそこに

スレリンク(fortune板)l50 メンヘラ
の29と44臭うw  暗殺者とか闇系の臭いがプンプンする奴でして、、。

私は、2ちゃんに関してはカタハメの材料は結構ありそうですが、
警察がデクの棒臭いとこもあって下手には動けないのが正直なところです。
なにしろ、仕事があまりにも多すぎて首が回らなくなるんじゃないかと、、、・。
ダット落ちされた奴や削除された奴やあぼーんした奴や、過去ログにあるのが
保存されていることを切に祈るが、、、。
もちろん、このスレを削除しても、スレそのもののコピーはしてあるので
もしものときは、それが色々な意味の物的証拠そのものになるわけです。

  、、、ピンピンピン、、、、、、、それでは失礼します。

429:426<ミスった。↓これです。
07/01/03 03:51:29 b/ZRdBuX
普通の人より数段上の世界にいけるんだ
そうしてあるところまで成長した魂は生まれなくなる
つまり人間界での修業を終えた事になる<<

止めじゃ、、、ちなみに、メンヘラは刃物を持ち歩いているそうです。過去ログにあります。
おっぱいもこれには友好的でした。こいつらは、色々と隠していることが
あるにちがいありません。


430:↑
07/01/03 03:53:12 b/ZRdBuX
そのメンヘラは村山氏であるそうです。

431:FORメンヘラ
07/01/03 04:16:11 b/ZRdBuX
        、、、お前は更生の余地がまだある、、、、、、。
      )::::::::::::::::::::,  ´    )::::::::::::::===彡::::::テ
       (::::::::::::::::://    ヽ:::_:::::::::::::::::i  l::::l:::::ハ二))
      >:::::::,.'  ′    |   ):::::::::::::::l  i:::i:::::(、二))
        て::::/   ll  l |  !|   {::::::::::::::::|  l::i:::::::::ハ〈
         しl |  l |  | | _!H‐'フ|/て::::::::::彡ミ::::::::(  !l
         l l  l _L | |ノ  rT´㍉ | (::::::::ミ彡::::::ィ  l|l
            ll ヽ ´ rr、    ヽ__ソ | l! {::l l::::;:::) |  リ
            ハ v)       l l | リ /:://   |  |   
            ,' ハ 丶      リ ,| |//´  | |   
            |  〉 、 `    lレ' | h、     |  |
            l / ||  > - ィ 〃 | | l7      |  |
            ノ'  |r j / rr、 〃  | | 〈 \    |  |
            /'   ノl j/ ㍉ト(  ノ l (   \  |  |





432:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/03 04:41:44 b/ZRdBuX
哲学板のあらゆる文化人をぶったたき、粘着、乾かす、スレ [哲学]が
スレリンク(fortune板)l50 の
スレにリンクしていたけど、私が以下のスレを書き込むやいなやリンク
が切れちゃったよ。
237 名前:マドモアゼル名無しさん :2007/01/03(水) 04:25:18 ID:G106a+2x
あらゆる文化人をぶったたき、粘着、乾かす、スレ [哲学]
このスレにスレ主がアクセス出来ないのは何故?
管理人が怪しいw
238 名前:マドモアゼル名無しさん :2007/01/03(水) 04:29:10 ID:G106a+2x
下手なことしたら、哲学板の管理人を通報するぜw、、、怪しいw
239 名前:マドモアゼル名無しさん :2007/01/03(水) 04:31:38 ID:G106a+2x
哲学板、どうなってんだ?書き込みできねえぜ、、、。
240 名前:マドモアゼル名無しさん :2007/01/03(水) 04:32:54 ID:G106a+2x
情報操作クサw 何でなんやろか?


241 名前:マドモアゼル名無しさん :2007/01/03(水) 04:34:39 ID:G106a+2x
ひょっとすると、そいつは逮捕かなw

↑哲学板の管理人のことやで、、、。


433:少し、つつ”き
07/01/03 06:03:01 b/ZRdBuX
 シュタイナーが言うには前世で牢屋にとじこめられて狂ったまま死んだ人が奇形児として

初めから生まれてくる事がある、という。(精神病の段階問題。)感情的異常から奇形児にいたるまで

を順序立てて言うと、感情の表れ(普通)感情の変化など(不安定)感情と意思と思考の異常

(異常あるいは変体あるいは神経症、ヒステリー、パラノイア関係、危機状態関係)、

狂気(統合失調症、躁鬱病、癲癇、破綻関係)このうち狂気のレベルで死後、

死後の平均的生活が送ることが不可能で、肉体と精神の異常を持って初めから生まれて

くることになるレベルがある。と言うことがいえると思う。

(更に最悪な状態があるかもしれないがここでは突っ込んで

見ることはしないで控えます。)
    


434:少し、つつ”き
07/01/03 06:06:13 b/ZRdBuX
別に生まれ変わりの話抜きで、話を進めてもいいけど。この場合は、生まれつき

奇形の肉体で精神にも異常がある人ということで保護と治療を必要とすると

いわねばなるまい。人道的見地に立つかぎりは一人の人格として尊重し援助する

のが当然なのだ。間引きは文明人に相応しくないかもしれないと言わざる

を得ない。      



435:少し、つつ”き
07/01/03 06:10:08 b/ZRdBuX
ここで、ブロイアー、フロイト、ユング、ダーウィン、ニーチェ、アインシュタイン

などのこれらの源流うに遡ると、ダビンチ、ゲーテ、ニュートン等にたどり着く。

ダビンチ、ゲーテ、ニュートン等は、フリーメーソンのメンバーであると言われている。

ダビンチがルネッサンス当時ほとんど、現代の科学的世界観を完了してしまった。

ゲーテがダビンチの科学性に付け加え量子力学の領域にまですでに到達していた。

(色彩論)、そして、ニュートンが自然科学の根本的土台を築いた(エネルギー保存則、

運動量保存則)ダビンチ、ゲーテ、ニュートン等は、フリーメーソンのメンバーであると言われている。

436:少し、つつ”き
07/01/03 06:14:44 b/ZRdBuX
レオナルド・ダ・ヴィンチ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション, 検索

レオナルド・ダ・ヴィンチレオナルド・ダ・ヴィンチ (Leonardo da Vinci,

1452年4月15日 - 1519年5月2日) は今日、イタリアのルネサンス期を代表する

万能の天才として知られている。

絵画、彫刻、建築、土木および種々の技術に通じ、極めて広い分野に足跡を残して

いる。『最後の晩餐』や『モナ・リザ』などの精巧な絵画は盛期ルネサンスを代表する

作品になっている。膨大な手稿(ノート)を残しており、その中には飛行機についての

アイデアも含まれていた。



437:以下、ダヴィンチ プロフィール
07/01/03 06:17:13 b/ZRdBuX
[編集] 生涯
レオナルドはイタリアのアンキアーノ村で生まれた。5歳からほど近い隣のヴィンチ村に

移り住んだ。姓のDa Vinciはヴィンチ村出身という意味からきている。ヴィンチ家は

13世紀より続くヴィンチ村では名の通った血筋で、父セル・ピエロ・ダ・ヴィンチ

(Ser Piero da Vinci) も公証人として裕福な家であった。母カテリーナ (Caterina) は

農民あるいは木こりの娘といわれ、詳細は分かっていないがヴィンチ家に頻繁に出入りしていた

とされる。父とカテリーナに婚姻関係は無い。しかし、その名前と、祖父アントーニオの日記に生まれた

様子が詳細に記載されていることから、私生児とはいえ彼が望まれざる子供であった

可能性は低い。カテリーナはレオナルド出産の数ヵ月後にアントーニオ・ディ・

ピエーロ・デル・ヴァッカ・ダ・ヴィンチに嫁いでいる。父セル・ピエロも同時期に

フィレンツェ出身のアルビエーラと結婚した。



438:以下、ダヴィンチ プロフィール
07/01/03 06:18:32 b/ZRdBuX
彼のフルネームはLeonardo di Ser Piero da Vinci(ヴィンチ家出身でセル・ピエロの

〔息子の〕レオナルド) である。ダ・ヴィンチという部位はむしろ出身地よりも

ヴィンチ家出身を意味する。尚、レオナルドは彼の作品に「Leonardos」または

「Io, Leonardo」とサインしている。専門家も彼の作品を「da Vincis」ではなく

「Leonardos」と表記する。ヴィンチ(Vinci)はイ草(Vinchi)に由来しレオナルドも

そのモチーフを作中に取り入れている。




439:以下、ダヴィンチ プロフィール
07/01/03 06:20:20 b/ZRdBuX
幼少期の彼は、原因は不明だが正当な教育を受けていなかった。又、当時から

左手で鏡文字を書いていたといわれている。これは同時に彼が読み書きの教育を

受けていなかった理由ともされている。当時は自由奔放な性格をしていたとされる

叔父の影響が彼に影響を与えたと、しばしば指摘される。彼の文字の癖は、父の仕事である

公証人を受け継ぐことに大きな障害となった。この時代からの年齢は確証に欠けるが、

レオナルドは14から16歳でフィレンツェに移ったとされ、画家見習いとしてアンドレア・デル・

ヴェロッキオに師事する。このときレオナルドはヴェロッキオのもとでボッティチェッリらと学ぶ。

この工房でヴェロッキオの絵画のキリストの洗礼の一部を描いており、これは師匠であるヴェロッキオ

を驚愕させるものでヴェロッキオは以後いっさい筆をもたなかったという逸話もある。

レオナルドに嫉妬したという説もあるが、むしろ工房の絵画部門は彼に安心して任せて自分は

本業である彫刻に専念した、というのが真相らしい。 1472年(二十歳)にフィレンツェで画家組合

「サン・ルーカ同心会」に登録されている。



440:以下、ダヴィンチ プロフィール
07/01/03 06:22:23 b/ZRdBuX
フィレンツェ時代の1476年、当時有名な男娼だった17歳のヤコポ・サルタレリ

(Jacopo Saltarelli) にモデルとして連絡を取ったことで同性愛者として匿名で

告発されている。他の3人の若い男性とともに同性愛者として容疑がかけられたが、

証拠不十分で放免されている。しかし以後、レオナルドと3人の男性はフィレンツェの

"夜の士官"(ルネサンス期の風紀取締り役のようなもの)から監視を受ける。

レオナルドの伝記を書いたロバート・ペインは、レオナルドが男性女性を同様に

愛することができたと確信していたようである(娼婦との付き合いも彼のメモに残されている)。

彼のノートの一部分を抜粋して彼の性的嗜好を断ずるのは容易いが、現時点で確たる結論は

出ていない。 当時は若者の間で同性愛が非常に進んだ考え方とされており、

さほどレオナルドが特異な性的嗜好であったとは言いにくい。だが時代がたつにつれ、

彼の知名度と、そのスキャンダラス性を演出する知識として、そういった時代背景を無視して

盛んに語られることとなった。特に日本において、レオナルドは天才の代名詞として

語られる一方で、その芸術については殆ど語られることが無いため、その傾向が顕著である。



441:以下、ダヴィンチ プロフィール
07/01/03 06:23:55 b/ZRdBuX
1482年から1499年の間ミラノ公ルドヴィーコ・スフォルツァ(イル・モーロ)

に仕えながら自らの工房を開いた。レオナルドは巨大なスフォルツァ騎馬像の

制作を依頼され、構想を練っていたが、騎馬像のため用意された17トンの銅は、

1495年、シャルル8世率いるフランスに対抗するため、大砲の製造に転用されてしまった。

そして画家の仕事をするとともにジャコモという非常に美しい少年を引き取る。

ジャコモには盗み癖があったが、レオナルドはサライ(=子悪魔という意味)

の愛称をつけてかわいがったという。



442:以下、ダヴィンチ プロフィール
07/01/03 06:25:02 b/ZRdBuX
1499年10月にルイ12世率いるフランス軍が侵攻すると、イル・モーロが逃走し、

ミラノは戦わずに陥落する。そのときレオナルドは残ったが、フランス軍の射手が

騎馬像の粘土原型を練習の的にしているのを知り、ミラノを離れる。弟子のサライ

(Salai) 及び、友人のルカ・パチョーリとともに1500年にマントヴァへ行き、

2か月後にはヴェネツィアへと移る。さらに同年暮れには再びフィレンツェに戻った。



443:以下、ダヴィンチ プロフィール
07/01/03 06:26:56 b/ZRdBuX
1502年8月以降、教皇軍総指揮官チェーザレ・ボルジア

(教皇アレクサンデル6世の庶子)の元で軍事顧問兼技術者として働く。

チェーザレの元にいたのは8か月程で、フィレンツェに戻っている。ここでアルノ川水路変更計画や、

ヴェッキオ宮壁画(後出)などの仕事に従う。

1506年にスイスの傭兵がフランス軍を追い払った後、マクシミリアン・スフォルツァが治めていたミラノに戻る。

そこで後に親しくなって死ぬまでの友人、彼の後継者となるフランチェスコ・

メルツィに出会う。1513年と1516年にはローマに住んでいた。

当時ローマではラファエロやミケランジェロが活動していた。ラファエロは

レオナルドの絵を模写し、影響を受けているが、ミケランジェロとの接触は

ほとんどなかったようである。



444:以下、ダヴィンチ プロフィール
07/01/03 06:28:05 b/ZRdBuX
1515年、フランス王フランソワ1世が即位すると再びミラノを占領する。

その際ボローニャで行なわれたフランス王とローマ教皇レオ10世の和平交渉の

結決役に任命され、(おそらくこのとき初めて)フランソワ1世に出会う。

1516年にはフランソワ1世の保護を受け、アンボワーズ城近くにあるクルーの

館と年金を与えられて余生を過ごす。

レオナルドは1519年5月2日にフランスのクルーで亡くなった。

彼の希望により60人の乞食とともに棺に入れられた。彼はアンボワーズにある

聖フロランタン教会に埋葬されたが、その後、墓が暴かれてしまい、遺骨の行方はわかっていない。



445:以下、ダヴィンチ プロフィール
07/01/03 06:29:15 b/ZRdBuX
レオナルドは生涯女性と親しい関係になることはなく、独身だった。

レオナルドには多数の友人がいた。一例を挙げてみる。

ファッジョ・カルダーノ - ジェロラモ・カルダーノの父親の数学者、法学者

フランチェスコ・メディチ - 画家で教え子

ジェラルモ・メディチ - ミラノ軍の大佐

ジョバンニ・フランチェスコ・ラスティシ

チェーザレ・ボルジア - 軍人

ニッコロ・マキャヴェッリ - 作家

アンドレア・ダ・フェッラーラ

フランチェスコ・ナーニ

ルカ・パチョーリ - 数学者・簿記の発明者


446:以下、ダヴィンチ プロフィール
07/01/03 06:30:33 b/ZRdBuX

最後の晩餐
Leonardo da Vinci (1498)
レオナルドの芸術作品は『最後の晩餐』(1498年, Ultima Cena or Cenacolo ミラノ)

や『モナ・リザ』(1503 -1506年, La Gioconda, ルーヴル美術館蔵) のような

精巧な絵画がよく知られている。絵画の特徴はスフマート技法と空気遠近法である。

画家として非常によく知られているが現存する絵画は17点(うち数点は弟子の

手との説もある)、そのうち1点のみ北アメリカ大陸にある。彫像は残っていないが、

小さな馬の彫刻がリマリック(アイルランド)のハント美術館にある。


モナ・リザ

Leonardo da Vinchi (1503-6)

447:以下、ダヴィンチ プロフィール
07/01/03 06:32:10 b/ZRdBuX
レオナルドは絵を描くために構想を練り、膨大な数の素描やスケッチを書いたが、

そのままスケッチの山ばかりが残されることも多かった。書き始めても未完成のまま

放置されたり、依頼主に渡さずに終わっているものもある。レオナルドは、遅筆であると

同時に、代表作とされるものでも未完の作品が多い画家である

(モナ・リザも手の部分が未完成ともいわれる)。



448:以下、ダヴィンチ プロフィール
07/01/03 06:33:31 b/ZRdBuX
1481年に『東方三博士の礼拝』(The Adoration of Magi, ウフィッツィ美術館蔵、未完)

の作画を請け負うが、膨大なスケッチを残して絵は未完成のまま知人に預け、

レオナルドはミラノへ行ってしまう。

ミラノでは7mもある巨大なスフォルツァ騎馬像の構想を練るのに16年もの時間を

費やした。鋳造を前にしてフランスとの戦争が近づいたため、用意した銅が大砲の

製造に転用されてしまい、この計画は中止された(この計画に基づいて、1999年に

馬(のみ)の像がニューヨークの個人によって作られ、ミラノに寄贈された。

一方、修道院の食堂に描いた『最後の晩餐』は福音書を題材に劇的な場面をリアルに描き、

レオナルドの名声を高めた。

フィレンツェに戻り、市庁舎(ヴェッキオ宮)の会議室に『アンギアリの戦


449:以下、ダヴィンチ プロフィール
07/01/03 06:35:12 b/ZRdBuX
フィレンツェに戻り、市庁舎(ヴェッキオ宮)の会議室に『アンギアリの戦い』を

題材に壁画を書くよう依頼された。また、反対側の壁には彼のライバルであったミケランジェロが

絵を描くことになった。この仕事のために準備がなされたが、技術的課題から壁画は失敗し、

未完のままレオナルドはフィレンツェを去る。未完の絵とはいえ、ルーベンスなどが模写しており、

後の画家に与えた影響は大きかったが、世間的にはまったくの失敗であった。

また、ミケランジェロも未完のままフィレンツェを離れてしまい、市庁舎の壁画は

後にジョルジョ・ヴァザーリが異なる絵で仕上げた。

数少ないレオナルドの絵画のうち、『モナリザ』『聖アンナと聖母子』

『洗礼者ヨハネ』がイタリアではなくフランスのルーヴル美術館にあるのは、

フランソワ1世にフランスへと招かれた際にこの3枚をレオナルド自身が持参し、

フランス国内で没したためである。この3枚に関しては死ぬまで筆を入れ続けたとも

言われている。



450:以下、ダヴィンチ プロフィール
07/01/03 06:37:29 b/ZRdBuX
[編集] 絵画作品

白貂を抱く貴婦人:チャルトリスキ美術館、クラクフ『受胎告知』ウフィッツィ美術館蔵 1475

『キリストの洗礼』ウフィッツィ美術館蔵 1472 - 1475(ヴェロッキオと共作)

『ジネヴラ・デ・ベンチの肖像』 ナショナル・ギャラリー (ワシントン)蔵 1474 - 1486

『聖母ブノワ』エルミタージュ美術館蔵 1475 - 1480

『東方三博士の礼拝』ウフィッツィ美術館蔵 1481 - 1482(未完)

『聖ヒエロニムス』ヴァチカン美術館蔵 1480 - 1482(未完)

『岩窟の聖母』 ルーヴル美術館蔵 1483 - 1486

『白貂を抱く貴婦人』ポーランド、チャルトリスキ美術館蔵 1483 - 1490

『音楽家の肖像』 アンブロジアーナ美術館 1490頃

『リッタの聖母』 エルミタージュ美術館蔵 1490 - 1491

『最後の晩餐』サンタマリア・デレ・グラツィエ教会壁画 1495 - 1498

『糸車の聖母』1501年 個人蔵 2003年8月27日盗難され行方不明。

『モナ・リザ』(La Gioconda) ルーヴル美術館蔵 1503 - 1506

『岩窟の聖母』 ナショナルギャラリー (ロンドン) 1503 - 1506

『聖アンナと聖母子』ルーヴル美術館蔵 1510

『洗礼者ヨハネ』ルーヴル美術館蔵 1513 - 1516

451:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/03 06:43:44 b/ZRdBuX
[編集] 科学と技術

レオナルドが残した膨大なノートは、19~20世紀になって科学技術の分野での

先駆的な研究を物語るものとして注目を集めてきた。それらは13,000ページに

及ぶノートに芸術的な図とともに記録が残されている。殆どは左手でペンを持ち、

鏡文字で記述されている。彼が鏡文字を用いたのは、左手でペンを持ったときに

ペンを押しながら書くよりも引きながら書くほうが楽であったため、以後鏡文字を

使うことに決めたからともいわれる。また、これには諸説あり、後に印刷しやすくする

ためともある。また、当時の大衆的な考え方からすれば、科学=異端という考え方が

あったため、それよって教会からの批判や弾圧を避けるためという見方もある。

一方で先天的に鏡文字を書く症例も存在しており、結論は出ていない。



452:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/03 06:45:51 b/ZRdBuX
彼の死後、ノートはメルツィへと相続された。彼はそれをイタリアに持ち帰り

厳重に管理したとされるが息子の時代に散逸してしまい、今は3分の1しか残って

いないとされる。 現在、彼のノートは国自体の所有が殆どを占め、一部が富豪に

よってコレクションされている。 彼のノートを時系列にみると、当初、キリスト教影響下の

考え方であった内容が、観察と推測により徐々に事実へと近づく様子が見て取れる。

彼はそれを出版物とする計画を抱いていたようである。


ウィトゥルウィウス的人間
ヴェネツィア・アカデミア美術館蔵
Leonardo da Vinci draws the human bodyレオナルドは、内部を知り絵をより美しく

真実に近づけようとする目的で最初に動物の解剖を行った(馬とされる)。

後に人体の解剖に立ち会うようになり、また自分自身の手でも行い、極めて詳細まで

書き込んだ解剖図を多数作成している。人体及び解剖学に関する成果は、時に工学的に

表現され、最古のロボットの設計との評価も受けている。 また、1490年頃のノートには

Canon of Proportions (プロポーションの法則)が書かれている。このなかの

『ウィトルウィウス的人間』は、当時発見された古代ローマの建築家ウィトルウィウスの

「建築論」にある「人体は円と正方形に内接する」という記述を表現している。

現在、この図はレオナルドの書いた中でも最もよく引用されるものの一つになっており、

イタリアの1.00ユーロ硬貨にも用いられている。



453:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/03 06:46:53 b/ZRdBuX
眼の仕組みに付いても研究を行っており、眼球内で光が屈折し、網膜に届く様子を描いている。

レオナルドは飛行することに興味を持った時期もあり、鳥の飛行する様子について詳細な

研究を行い、それを元にいくつかの飛行用装置を試作したともいわれている。その中には、

実際に動かすことはできなかったが4人の人力で飛ぶヘリコプターやオーニソプター、

ハンググライダーに酷似したものも含まれている。又、落下に備えてパラシュートのようなものを

考案している。1496年1月3日には彼が発明した機械で飛ぼうとして失敗した記録が残っている。

日本でも過去にレオナルドの描いたヘリコプターの図案が

全日空の飛行機にマークとして採用されていた


454:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/03 06:48:28 b/ZRdBuX
1502年、オスマン帝国のバヤズィト2世が行なった国家事業計画で、コンスタンティノープルに

240 mの橋の設計を行なう。これはボスポラス海峡の現在金角湾として知られる場所に架けられるはず

だった。(結局その橋は建設されなかったが、レオナルドの視点が再評価され、2001年にノルウェーに

その設計を元にした少し小さな橋が建設された。※外部リンク参照[1])

ノートには軍事関係のアイディアも多数描かれている。当時、権力者に売り込む

最も良い手段が武力であったことも関連している。マシンガン、馬や人力によって

動く装甲戦車、クラスター爆弾などである。しかし彼は後に戦争は人類が行なう

最も愚かなものと考えるようになる。それ以外にも潜水艦、歯車を用いた史上初めての

機械式の計算機、バネの動力で動く自動車などを構想していた。ヴァティカンにいた頃には、

凹面鏡を用いて太陽光をあつめ、水を暖めることで、太陽光線を

工学的に利用することを考えていた


455:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/03 06:49:49 b/ZRdBuX
天文学分野では、レオナルドは太陽と月は地球の周りを回っており、月の光は地球の

海が太陽光線を反射したものだと考えていたが、後に地球は太陽の周りを回っていると結論付けた。

数学分野では、重要な定数の一つであり、かなり後に発見される

黄金比についても当時発見しており、かなり高度な研究の記録も残されている。

また、ダ・ヴィンチの星などの立体も発見しているということが分かっている。

レオナルドは音楽の演奏及び作曲も行なった。ミラノを最初に訪れたのも、

メディチ家の依頼でスフォルツァ家にリラを献上するためだったともいわれる。

リュートを演奏し、自作のリラを弾きながら歌い、新しい楽器のアイディアや

演劇用にデザインした服装もスケッチに残されている。それを元に紙オルガンやヴィオラ・

オルガニスタなどが再現され、演奏なども行なわれている。


[編集] その他


456:以下、ゲーテ
07/01/03 06:53:26 b/ZRdBuX
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe,

1749年8月28日 - 1832年3月22日)はドイツを代表する詩人であり、劇作家、

小説家、科学者、哲学者、政治家でもある。また、当時の学者層の人物と

幅広い交流を持ち、1800年前後(ゲーテ時代とも言う)の名だたる人物と親交が

深かった。当時のドイツで最も影響力のあった学者であり、詩人であった。

現代においても、彼の文学作品・人生観などは広く研究されているところであり、

現在においてもその影響はドイツ国内を飛び出し、全世界中に及んでいる。

ドイツ史上、過去・現在問わず世界的な影響を与えている数少ない文化人である。



457:以下、ゲーテ
07/01/03 06:54:49 b/ZRdBuX
[編集] 生涯
[編集] 生い立ち

フランクフルトにあるゲーテの生家父ヨハン・カスパー・ゲーテと母エリーザベト・

ゲーテの長男としてドイツ中部フランクフルト・アム・マインに生まれた。父方は、

葡萄酒の取引と旅館経営で大きな成功を収めた裕福な商人の家柄であった。母方は、

代々法律家でフランクフルトの市長を務めたこともあるなど地元では声望のある

家柄であった。また、ゲーテの生誕した翌年に妹のコルネーリア・ゲーテが生まれた。

(さらに、この下に4人弟妹がいたが、彼らは夭折した)ゲーテ家は明るい家庭的な雰囲気であり、

少年時代のゲーテも裕福かつ快濶な生活を送っていた。


458:以下、ゲーテ
07/01/03 06:55:51 b/ZRdBuX
父は地位のある人で、息子の教育に関心を持ち、幼児のときから細心に育てた。

現在のように教育制度が整っていなかったので、専ら自宅に家庭教師を呼び学んでいた。

ゲーテは特に語学に長けており少年時代には、すでに英語・フランス語・イタリア語

・ラテン語・ギリシア語・ヘブライ語を習得していた。また詩作が非常に評判であったのも、

幼少の頃からである。現存する最古の詩はゲーテが8歳の時のものである。


[編集] 少年時代


459:以下、ゲーテ
07/01/03 06:57:19 b/ZRdBuX
14歳の時、ゲーテは初恋をする。近所の料理屋の娘の親戚でグレートヒェンという名の

娘である。結局、失恋に終わってしまったが、このグレートヒェンの名前はゲーテの

代表作『ファウスト』の第一部の女主人公の名前であり、ゲーテが初恋の人の名前を使っている

ことも有名である。また、ゲーテは16歳にして、ライプツィヒ大学の法学部に入学することになる。

これは、法学を学ばせ、弁護士にして、将来はフランクフルト市の要職につかせて出世させたいという、

教育家でもあった父親の願いでもあった。(本人は、ゲッティンゲンに行って、

文学研究をしたかったと回顧している。)こうして、ゲーテは生まれて初めて、

故郷フランクフルトを後にする事になる。1765年の事であった。



460:以下、ゲーテ
07/01/03 06:59:15 b/ZRdBuX
ライプチヒ大学時代

ケートヒェン1765年にライプチヒに到着した弱冠16歳のゲーテだったが、法律学の学究には

身が入らなかった。また、自身のフランクフルトにおける扱いとの差に愕然とする。

フランクフルトでは良家の出でそこそこ知られていたが、異郷の地ライプチヒでは全く

知られていない存在であったことを、彼は否が応でも痛感しなくてはならなかった。

その反動からか、十代の青春真っ盛りのゲーテは最新のロココ調の服を着て、

解放的でかなり気どった生活を送っていた、と後に自身も回顧している。この頃に、

ゲーテは新たな恋をする。ライプチヒ時代ゲーテが食事をしていたレストランの娘アンナ・

カトリーナ・シェーンコプフ嬢(通称ケートヒェン)である。しかし、都会的で洗練された

彼女の雰囲気へのゲーテの嫉妬が、彼女を苦しめてしまった。結局、彼女を不幸にしてしまい、

失恋に終わる。若きゲーテには、これは苦い経験であった。さらに、ゲーテに不幸が続く。

自身が病魔に襲われてしまい、退学を余儀なくされたことであった。(カルテがなく、

病名は不明であるが、症状から結核と見られている)学士になって雄雄しく帰ってくる

どころか、敗走してきた兵士のように、身も心もボロボロになって、故郷フランクフルトへ

帰ってきた。1768年、ゲーテ19歳の時であった。



461:以下、ゲーテ
07/01/03 07:00:58 b/ZRdBuX
この頃のゲーテは療養の傍ら、自身の宗教観を形成する時期でもあった。フランクフルトで

母親の女友達・クレッテンベルク嬢を知る。彼女は、ヘルンフート派の信者であり、

この派は生きた魂の救済こそが真なる信仰であるという主張している派で、ゲーテの宗教観に

大きな影響を与え、後の『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』の第六部「美しい魂の告白」

は彼女との対話と手紙から成っている。また、この頃読んだゴットフリート・アルノルトの

『教会と異端の歴史』を読み、様々な異端と呼ばれてきた説を学び、今までの偏見していた

多くの説を見直す機会となり、深く肝銘した。自分自身の宗教を持つことこそが、

真の信仰であるという汎神論的な考え方に至った。(これは、後のスピノザ・ルネッサンス

というべき、ゲーテのスピノザ研究にもつながる)これらの宗教観の形成は、

ゲーテ作品のバックボーンにもなっている。またこの時期、興味のあった

自然科学の研究にも精を出していた。ゲーテは地質学から植物学、

気象学まで、自然科学にも幅広く成果を残しているが、既にこの頃にはその基礎を作り上げていた。

療養後、改めて勉学へ励むため、父親が選んだシュトラスブルク


462:以下、ゲーテ
07/01/03 07:01:46 b/ZRdBuX
療養後、改めて勉学へ励むため、父親が選んだシュトラスブルク大学へ行く事となった。

当地は、フランスとの国境付近にあり、当時先進的だったフランス文化に浸るのにもよく、

今度こそ法律学を成就して、市の要職につかせたいと考えていたからである。

1770年、ゲーテ21歳の時であった。



463:以下、ゲーテ
07/01/03 07:02:54 b/ZRdBuX
[編集] シュトラースブルク大学時代--ヘルダーとフリーデリーケとの出会い--

ヘルダーフランクフルトを再び発ったゲーテは、シュトラスブルクへ行った。

当地で学んだ期間は一年少しと短かったが、この地で理性と形式ばかりを重んじていた

ロココ調の文学から生命と自然とに根ざし、自由感情の元に立つシュトルム・ウント・

ドラング(疾風怒濤)という新たな文学に目覚めるという、ドイツ文学史上特筆すべき

変節点が起こったのもこの時期である。この変節点の立役者は当地で療養中であった

文学者・ヨハン・ゴットフリート・ヘルダーに他ならない。ヘルダーは、ゲーテより

5歳年上であったが、既に一流の文芸評論家として著名であった、当時無名の学生であった

ゲーテは、このヘルダーの所へ足繁く通い、ヘルダーから古典ギリシア文学から

聖書に至るまでの様々な新しい文学上の視点を学んだ。



464:以下、ゲーテ
07/01/03 07:04:24 b/ZRdBuX
また、この頃ゲーテはフリーデリーケ・ブリオンという女性と恋をする。ゲーテは、

友人と共に、シュトラスブルクから30キロほど離れたゼーゼンハイムという村に遊びにきて

いたのだが、そこの牧師の娘のフリーデリーケと恋に落ちた。ゲーテは、彼女に夢中になり

『野ばら』や『五月の歌』といったとりわけゲーテの抒情詩の中でも、有名かつ傑作と

呼ばれている作品がこの頃いくつも登場しており、また、ドイツ詩の歴史の中でも

屈指の抒情詩である。これらの美しい詩は、現代に生きる人々をも虜にしているほどである。

これらは、『ゼーゼンハイムの歌』というタイトルで出版されている。しかし、

ゲーテは無情にも、ゲーテとの結婚を望む彼女との恋愛を断ち切ってしまった。

理由は勉学に励むためでもあり、また結婚による束縛を嫌ったためでもあると

言われている。しかし、ゲーテも彼女の姿を忘れられず、フリーデリーケは代表作

『ファウスト』の中のグレートヒェンのモデルになっているともいわれている。

465:以下、ゲーテ
07/01/03 07:05:01 b/ZRdBuX
1771年に無事、学業を勤め、シュトラスブルクを後に、フランクフルトへ帰って

きた。ゲーテ22歳の時である。


466:以下、ゲーテ
07/01/03 07:06:49 b/ZRdBuX
[編集] 疾風怒濤期 『ゲッツ』と『ウェルテル』の誕生
シュトラスブルク大学を無事卒業し、故郷のフランクフルトへ戻ったゲーテだが、

父親の願い通り市政に携わる仕事に就けなかった。そこで、弁護士の資格を経て、

弁護士事務所を開設した。弁護士の仕事も、そこそこ順調でもあったが、実質この頃のゲーテは、

文学活動に専念していた。この頃、ゲーテは『フランクフルト学報』で様々な文芸評論を行った。

この学報の主宰者が作家ヨハン・ハインリヒ・メルクである。後述するが、彼は、

『ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン』の出版の際に大きな援助してくれた、よき理解者であった。

この時期にゲーテは、『ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン』の初稿『戯曲化された鉄の手のゲッツ

・フォン・ベルリヒンゲン』を執筆。しかし、本業そっちのけで文学活動に没頭している息子に、

父親は業を煮やし、法学を再修得させるため、フランクフルトの北方にあるヴェツラールの

最高裁判所へと送られる。1772年4月のことであった。


[編集] ロッテとの出会い


467:以下、ゲーテ
07/01/03 07:08:04 b/ZRdBuX
ロッテとの出会い

シャルロッテ・ブッフ(ロッテ)しかし、この地でもゲーテは、法律学ではなく

文学に関心を持ちつづけいた。現在でもゲーテの当地での法学修得を伝える資料はないに

等しい。自分と考えの違う、父親から離れたこの地はゲーテにとって、恰好の文学に

専念できる環境であった。当地では、ゲーテにとって大きな出来事に何度も遭遇する。

一つは、シャルロッテ・ブッフ(通称ロッテ。彼女はシャルロッテ・フォン・

シュタインとは別人)という女性との恋、そしてヨハン・クリスティアン・ケストナーや

カール・イェルーザレムなどとの交友である。後述するが、シャルロッテも、

イェルーザレムも、『若きウェルテル(ヴェルター)の悩み』の成立の直接的な

影響を与えた人物として有名である。



468:以下、ゲーテ
07/01/03 07:10:04 b/ZRdBuX
まず、シャルロッテとの馴れ初めは、ゲーテがこの地で友人たちの誘いで参加した

舞踏会によるものである。ゲーテは、まだ若干15歳の彼女の雰囲気に一目惚れし、

毎晩彼女の家を訪問するほど、熱狂的に恋をした。しかし、ほどなく彼女はゲーテの知人

でもあったケストナーという男性のいいなづけであることを知った。しかし、

ゲーテは、彼女の魅力を忘れられず思いが募るばかりで、非常に苦しい思いをしていた。

ロッテは、誰もが一目惚れしてしまうほどの美しさ、それでいて快濶で、嫌らしいところなど

まるでない魅力的な女性であった。ゲーテは、彼女に何度も手紙や詩を送り、ロッテもゲーテが

他の誰よりも自分のことを愛している事を痛いほどよく知っていた。ケストナーも

このような事態に極めて寛大に振舞った。友人のメルクからは、ケストナーから

ロッテを奪い取るべきだという強硬論さえ飛び出したほどだが、ゲーテにはそのようなことは

出来ず、9月11日にロッテに別れを告げず、突然ヴェツラールを去る。ゲーテにしてみれば、

わずか5ヵ月あまりであったが至福なひとときであった。



469:以下、ゲーテ
07/01/03 07:11:13 b/ZRdBuX
ヴェツラールを去ったゲーテは、フランクフルトへ戻り再び弁護士稼業(表向きだが)

となったが、ロッテのことは忘れられるばかりが、日を追うごとに想いが募ってくる。

無事ロッテが婚約者のケストナーとゴールインできたという報に接したとき、

その苦しさは頂点に達した。あまりの苦しさに、ベッドの下に短剣をしのばせ、

何度か自分の胸に刺してみようと試みた事さえあった。そんな折、ヴェツラールで

知り合ったイェルーザレムがピストル自殺したという報が届く。原因は、

彼は人妻を猛烈に恋したが、彼女に拒絶されたためそれを悲観しての自殺であった。

これは、ゲーテにとっては他人事ではなかった。しかし、この友人の自殺とロッテとの

恋は、ゲーテにかの『ウェルテルの悩み』を構想させることになるのである。



470:以下、ゲーテ
07/01/03 07:12:21 b/ZRdBuX
[編集] 『ゲッツ』と『ウェルテル』

一方で、ヘルダーにも送っていた『戯曲化された鉄の手のゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン』

に対して、ヘルダーから嘲笑めいた返事が返ってきた。ゲーテも、改変を余儀なく

され完成したのが『鋼鉄の腕 ゲッツ・フォン・ベルリッヒンゲン』である。

しかし、無名の青年の作品など、どこの出版社も相手にしてくれない。そこで、

友人・メルクの財政的援助の元、自費出版した。出版されるや全ドイツ中の注目を集めた。

そして翌年、イェルザレムの自殺と自身のロッテとの恋愛を元に、『若きウェルテルの悩み』

が世に出されると、ドイツを飛び出し、全ヨーロッパ中にゲーテの名を轟かすことになった。



471:以下、ゲーテ
07/01/03 07:14:42 b/ZRdBuX
上記のような状況において、ゲーテは1773年『鋼鉄の腕 ゲッツ・フォン・ベルリッヒンゲン』を、

翌1774年には『若きウェルテルの悩み』を出版する。この両作の発表によって、

ゲーテはシラー(『群盗』)とともに「シュトルム・ウント・ドラング(疾風怒濤)」

とよばれる文学運動を引き起こすことになる。(作品の詳細・影響など詳しくは当該項目を参照)

『鋼鉄の腕 ゲッツ・フォン・ベルリッヒンゲン』は実在の騎士ゲッツ・フォン・ベルリッヒンゲンを

主人公とする戯曲であり、宮廷時代において中世騎士道精神をつらぬく主人公が、自由を唱えながら死んでゆくというストーリーである。

『ウェルテル(ヴェルター)』は当時流行していた書簡体で書かれた小説であり、婚約者のいる女性シャルロッテに

恋した主人公ヴェルターが失恋のためピストル自殺を図るというストーリーであり、

当時ヨーロッパで爆発的にヒットした。ヴェルターに陶酔し、ヴェルターのマネをして自殺する

青年が続出し、社会的な混乱を巻き起こしたほどである。若きナポレオンも本書を愛読して、

ヴェルターまがいの小説を書こうと試みたこともある(後年、ゲーテを訪問している)。

余談だが、菓子メーカー「ロッテ」は同書のヒロイン、シャルロッテから取ったものだという。


472:自殺は流行したが、当のゲーテは長生きだった。↑
07/01/03 07:18:07 b/ZRdBuX
こうして一躍ヨーロッパ中にその名を知られるようになったゲーテは、

この時期に様々な人物との交流も盛んになる。一例をあげると、ヘルダーのほか、

フリードリヒ・ハインリヒ・ヤコービ、兄で詩人のヨハン・ゲオルク・ヤコービ、

ヨハン・カスパー・ラファーター、レッシング、クロップシュトックなど当代一流の

文人たちであった。『ヴェルター』作者に一目会いたいと文学者・神学者・教育学者・

詩人など、中には現在でも知られている有名な人物が、フランクフルトを訪問して、

ゲーテに会うあるいは、上の人にはゲーテから彼らのほうを訪問するなどの、

盛況ぶりであった。知名度があがっても、奢ることなく気軽に振舞う青年ゲーテは、

周囲からも好意的に思われていた。1774年12月には、フランス・パリへ旅行へ行く、

ワイマールの公子カール・アウグスト公が途中フランクフルトを訪問した。

ゲーテは、公をとても親切にもてなし、文学や詩などとても多彩な話題で盛り上がったという。

ただ、この人物がその後のゲーテの一生を大きくかえる人物になるとは、

当時のゲーテも思ってもみなかったと思われる。

この頃から、知見を広げるため、ヨーロッパ各地へと旅行をも活発にした。

74年7月からはラーヴァーターと教育学者バーゼドといった友人たちと、ライン地方へ旅行へ行った。





473:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/03 10:31:41 b/ZRdBuX
[編集] リリー

リリー・シェーネマンまたこの時期一つの恋が生まれた。当地フランクフルトで一番財力が

ある銀行家シェーネマン家の娘リリー・シェーネマンとである。1775年1月ゲーテが招待された

当家で開かれた音楽会でのことだった。リリーも、ロッテやフリーデリーケ並に上品で、

気品がある女性で、しばらく忘れていたゲーテの恋愛感情に再び火がついた。しかし、

この恋の成就は前途多難であった。ゲーテはロッテやフリーデリーケの頃と違い、今や

一世を風靡した文人の身である。リリーは好きであるが、シェーネマン家の人は、ひとりの人間

・詩人としての自分ではなく、名声と将来性のある有用な人間として見られているように思えて

仕方なかった。それに金のない青年ゲーテに、リリーのほかの兄弟はあくまで結婚に反対で、

また、互いの家の宗派も異なっている上、ゲーテの妹コルネリーアとリリーとの馬が合わず、

両者は互いに著しく嫌悪感を抱くようになっていった。


474:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/03 10:33:53 b/ZRdBuX
それでも、リリーの友人でハイデルベルクの実業家デルフ嬢の仲介により、ゲーテは彼女と

婚約をした。同年4月の事で、出会ってから3ヶ月という速さであった。当時のゲーテにしてみれば、

自身の作品で名声は上がったものの『ゲッツ』の時に自費出版した際、メルクや弁護士のヴァーグナーら

ごく親しい友人に莫大な借金をしており、その借金もまだ返済しきれていない。

それに、人気に左右される文学稼業ではとても安定した収入は望めないので、それが財力のある

家の娘とのスピード婚約に至った一因でもある。それでもゲーテとリリーが相思相愛の仲であったのは、

疑い得ない事実であった。しかし、財力に物をいわせて振舞うシェーネマン家の水がやはり合わず、

婚約後ゲーテはスイスへ旅へ出た。リリーが心底好きなだけに、ゲーテにとっては複雑な旅立ちであった。

いざ異境の地へ行くと、リリーに会えない寂しさだけが募ってくる。ゲーテはその気持ちを詩に託した。

この頃のゲーテのリリーに対する抒情詩もはれた作品として知られているものである。

結局、同年秋にはリリーとの婚約は解消された。リリーは他に良縁を見つけたが、シェーネマン家はその後

まもなく破産した。

ゲーテには、落ち込む暇などなかった。同年11月にかつて『ウェルテル』が縁で出会うことが

出来たワイマールのカール・アウグスト公からの招きがあったからだ。ゲーテは、

故郷を離れワイマールへと向かうことになる。



475:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/03 10:35:28 b/ZRdBuX
[編集] ワイマールへ

[編集] ワイマールの宮廷

カール・アウグスト公アウグスト公から招きがあったが、ゲーテがヴァイマール行きを諦めたほど、

なかなか迎えの馬車が来なかった。(あと少し遅かったら、ヴァイマール行きを断りイタリアへ行くつもりで

あったと自身も語っている)それでも、なんとかヴァイマール行きを決意した。

詩人がヴァイマールへ着いたのは、1775年11月7日の早朝の事であった。当時のヴァイマール公国は、

人口6000人程度の小国で、貧しい農民と職人に支えられた国であった。本来アウグスト公らが住んでいるはずの城でさえ、

ゲーテが着く数年前に起きた火災で焼けたのがそのまま廃墟となっている始末である。

早朝の暗がりについたこともあってかなり暗い街にゲーテには見えたと述べているが、

しかし客観的に見てもゲーテのいたフランクフルトと比べれば、ものすごく寂れた場所であった。

それでも、『ウェルテル』執筆以降、フランクフルトの近くを通った際、

慕ってゲーテに何度も会ってくれたカール・アウグスト公の願いだから断るわけにもいかない。

当初はゲーテ自身も、このヴァイマール訪問は数ヶ月程度という短期間のものであると思っていたが、

実際はゲーテ自身この地に永住することになる。



476:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/03 10:43:17 b/ZRdBuX
カール・アウグスト公は当時18歳で、結婚直後であった。父親コンスタンティンは、

ゲーテの着く17年も前に20歳で死亡しており、変わりに皇后アンナ・アマリーア(アウグスト公の

母親)が政務を担当していた。彼女は、人間的にも優れた王妃で着実に政務をこなし、

この貧しい国の復興に力を注いでいた人物であった。彼女は一環として、ドイツ文学・

文化を大いに奨励した。息子のアウグストの教育係に詩人・ヴィーラントをこの国に招いた。

息子も母親にならって、文化復興の担い手に『ヴェルター』の作者でかつてフランクフルトで

会った際に、ユストゥス・メーザーの『愛国的空想』で国家観などを語り合い、

大いに共鳴したゲーテを選んでこの地に招いたのであった。

当時26歳の詩人・ゲーテに政治的実績はない。それを考えれば、

大抜擢といえるかもしれない。しかし、若く初心なカール・

アウグスト公には、芸術・自然・文学を愛する人間・ゲーテが殊のほか輝いていた。

彼は、ゲーテを兄のように慕い、宮廷を飛び出しゲーテと共にでかけて、自然を満喫したり、

演劇を楽しんだり、狩りに出かけたり、時には宮廷の女性を悪戯半分に辱しめる行為をしたり、

おおよそ公子とは思えぬ行動を楽しんだ。ゲーテも、彼に惹かれ、次第にこの地での暮らしは

一時的ではないと感じるようになった。それにこの地では、当代きっての大詩人・

ヴィーラントもいるし、他にも良くも悪くも様々な性格の持ち主の人間がこのワイマールの

宮廷を彩っていた。いずれも、ゲーテの目から見た姿であることに留意されたいが、

まず筆頭に上がるのはアウグスト公の戦闘好きにも関連して、カール・ルートヴィヒ・



477:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/03 10:44:42 b/ZRdBuX
フォン・クネーベル少尉である。彼は、軍人でもあり文学にも長けており、フランクフルトで

最初にゲーテとアウグスト公があったときその仲を取り持った重要な人物であった。

他に、能力には長けていて大の文学愛好家であったが、古参者であることをいいことに、

都合の悪い後輩には、その芽を摘み媚びへつらうというあまり評判がよくないゲルツ伯爵。

優しく、人望、教養も高くヴァイマールの宮廷では欠かせない人物であったが、

性格がとても頑固で保守的で、ゲーテとは馬が合わなく、後にゲーテが大臣になるのを殊のほか

拒んだフォン・フリッチュ大臣。宮廷のムードメーカー的存在のヒルデブランド・

フォン・アイジンテールがいる。彼はあらゆる遊戯、娯楽に長けていて音楽や

戯曲を殊のほか好んだ。しかも、文学能力も高く、多彩な文学活動を行なっていた。

この他にも多く文学愛好家などがいて、ゲーテにはよき理解者に囲まれていると実感していた。

そして、この地に出来るだけ留まりたいと思うようになった。その気持ちに決定打を放ったと

いえるのが、シャルロッテ・フォン・シュタイン夫人との

出会いと言えるだろう。(これは、後節参照)




478:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/03 10:46:22 b/ZRdBuX
[編集] シュタイン夫人

シャルロッテ・フォン・シュタイン(シュタイン夫人)ゲーテとシュタイン夫人との出会いは、

ゲーテがヴァイマールに到着して数日後であった。シュタイン夫人の夫は、ヴァイマールの

主馬頭で宮廷でも重要な人物であった。ゲーテと出会ったとき、既婚者である事はもちろんの事、

既にゲーテよりも7つ年上の33歳で、七人もの子どもがいた。感じはいいがそれでも、

決して男を虜にするほどの美人ともいえない。それでも、この夫人はゲーテの人格・

文学作品に多大な影響を与えた。ゲーテの生涯で最大の影響を与えた女性ともいえる。

ゲーテとの心の交流は、ゲーテがイタリアへ旅立つまでの実に12年近くにも及んだ。

この夫人は清らかで優雅で繊細でそれでいてゲーテの全人格をすべて包み込んでしまう人物で

あった。このようなすべてを包み込んでしまうほどの人物は、ゲーテが過去に出会った女性たちには

なかった性質のものである。ゲーテもこの夫人と出会うことで、人格的には自身の内なる魂が清められ、

激しく野性的で情熱的な人格から純粋かつ節度のある人間性を獲得することができたといわれている。

ゲーテにとって、ギリシア的であらゆるものが調和した人物に映っていた


479:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/03 10:48:46 b/ZRdBuX
これは文学的にはゲーテの古典主義のへの始まりでもあった。宮廷女性シュタイン夫人との出会いは

ゲーテの文学を疾風怒濤から古典主義へと変わらせていく時期でもあった。(この頃は公務で

文学活動に専念できず、本格的にはイタリアから帰ってきた後となる)

ゲーテはシュタイン夫人に向けて無数の詩を作り、さらには後の『イフィゲーニエ』(シュタイン夫人が

モデルとも言われている)や『タッソー』など文学作品にも影響を与えた。ゲーテは足繁く

シュタイン夫人のもとへ通い、彼女を大いに満足させた。ゲーテは夫人宛に送った

詩の一節で「ああ、前世では君は私の妹か妻であった」とまで言っている。このように

人妻へのところへ通うという、現代の感覚で言えば「不倫」に近いものであるが、

一線を越えない限りこの時代のヴァイマールではその点は比較的寛大であった。

しかし、そのような寛大な考えのところでもゲーテの熱中ぶりはあまりに突出していた。

これは宮廷でも話題となり、ゲーテは反感を買ってしまった。

しかし、シュタイン夫人の夫はゲーテが自分の妻のところへ熱心に通っていることに全く

無関心で、宮廷での出来事や馬車のことなど自身の仕事のほうのがよほど重要に映っていたという。

つまり、シュタイン家の夫婦生活は結婚して10数年来、全く冷淡で夫は妻へ充分に愛情を向けず、

彼女自身夫の生活に憂鬱を覚えていた。そこへゲーテがあらわれ、彼女を陽気にし、

ゲーテが自分の宮廷の友達の輪へと誘ってくれたのである。夫は、この事態を咎めるどころか、

ゲーテを妻の生活の良き支援者と捉えており、大いに感謝し二人の間柄を支援さえした。

ゲーテは着実にヴァイマル公国の政務を果たし、公爵の信頼を得て事実上の宰相となった(1783年)。



480:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/03 10:51:24 b/ZRdBuX
[編集] イタリア紀行 古典主義への傾斜
ゲーテは1786年、突如公務をすべて投げ出して、誰にも断りなく(主君カール・

アウグストにも相談なく)イタリアに旅立つが(イタリア紀行)、これは事実上の

「家出」である。
イタリアで2年ほどブラブラと過ごしながら、現地の芸術家とおしゃべりしたり、

石ころを集めたり、(あまり上手とは言えない)絵画の練習に励んだり、ナポリ・ポンペイ

まで物見遊山に出かけたりした。この(お気楽な)家出の最大の文学的収穫は紀行文学

『イタリア紀行』を残したこと、当地で読んだ『チェッリーニ自伝』を帰国後、

自らドイツ語に翻訳したことである。
ゲーテはイタリアからの帰国後(1788年)、公務の任からはずされるが、このころ

女工クリスティアーネ・ヴルピウスと出会い、愛人にする。後にヴァイマル劇場の監督となる(1791年)が、

このころからゲーテの作風は古典主義へと向かうようになり、詩劇『ファウスト』の構想が固まる。

フランス革命(1789年)から続くナポレオン戦争に際しては、ゲーテは当初反フランスの立場を取る。

1792年にヴァルミーの戦いに参加。「ここから、そしてこの日から、世界史の新たな時代が始まる。

("Von hier und heute geht eine neue Epoche der Weltgeschichte aus, und

ihr könnt sagen, ihr seid dabei gewesen.") 」との言葉を残す。後にナポレオンが

ヨーロッパを制覇すると反フランスの立場を引っ込め、皇帝ナポレオンと面会して感激する。






481:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/03 10:52:30 b/ZRdBuX
[編集] 盟友シラー

ワイマールに立つゲーテとシラーの像ゲーテは1788年、フリードリヒ・フォン・シラーを

イェーナ大学の歴史学教授として招聘した。シラーとは1794年の植物学会を機に本格的な親交を結び、

これはシラーの死ぬ1805年まで続いた。二人の間には千通を越える膨大な数の書簡が交わされている。

また、1796年には強烈な文壇風刺詩『クセーニエン』(Xenien)を共同制作し、

当時の文壇を辛辣に批評した。

この当時、色彩論や植物のメタモルフォーゼなどの自然科学研究にのめりこんでいたゲーテを励まし、

その興味を詩作へと向けさせたのはシラーであった。ゲーテはのちに「シラーと出会っていなかったら、

『ファウスト』は完成していなかっただろう」と語っている。



482:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/03 10:53:30 b/ZRdBuX
1805年5月9日、シラーは肺病のため死去する。シラーの死の直前までゲーテはシラーに対して

文学的助言を求める手紙を送付している。それほどまでにゲーテはシラーを必要とし、

信頼し、敬愛していた。周囲の人々はシラーの死が与える精神的衝撃を憂慮し、

ゲーテになかなか訃報を伝えられなかったという。事実、シラーの死を知ってから

しばらくの間、ゲーテは病に伏せっている。 このシラーの死をもって、ゲーテのいわゆる

「古典主義時代」が終わる。






483:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/03 10:54:37 b/ZRdBuX




[編集] 結婚
ゲーテは恋愛遍歴で知られるが、ながく結婚しなかった。しかし1806年に愛人であり子供もいたクリスティアーネ・ヴルピウスと結婚した。1820年頃にはカスパー・マリア・フォン・シュタインベルクと交友関係を結んでいた。
1794年頃からゲーテは主に文学に専念し、その多産な生涯をヴァイマルで終えた。
彼の遺した最期の言葉とされる「もっと光を("Mehr Licht")」はあまりにも有名であるが、これは主治医の診断書にあった記録から広まったものであるとされ、信憑性を疑う説もある。無言のまま死んでいったとする記録もあり、真偽のほどは定かでない。


[編集] 文豪ゲーテ
ゲーテの主要な文学作品には戯曲『鋼鉄の腕 ゲッツ・フォン・ベルリッヒンゲン』

『トルクヮート・タッソー』『タウリス島のイフィゲーニエ』、小説『若きウェルテルの悩み』

『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』

『親和力』(散文)、詩劇『ファウスト』(韻文)、詩集『西東詩集』 随筆『イタリア紀行』

『エッカーマンとの対話』がある。理論家としては雑誌『プロピュレーエン』を主催し、

古典主義理論の振興および新人の発掘に努めた。ゲーテは多言語を解し、『チェッリーニ自伝』

やカルデロンの翻訳なども手がけている。




484:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/03 10:55:52 b/ZRdBuX
[編集] 文学活動

ヴァイマルにあるゲーテハウス文学者としてのゲーテの活動は大きく二期に分けられる。

初期のゲーテはシラーとともにシュトルム・ウント・ドラング運動を代表する詩人であり、

シュトラスブルクでゴシック建築の大聖堂に感銘し『ドイツ建築について』を書きドイツ的なもの・

中世的なものへの回帰を広く呼び起こした。

その後ゲーテはヴィンケルマンを読み古典的なものへと回帰し、『ファウスト』に結実する

ドイツ古典主義の代表的作家かつ理論家となる。『ファウスト』はファウスト博士伝説に

題材を取った二部からなる戯曲で、完成に多年を要し、ゲーテが文学者として

最も円熟した時期にかかれたものである。






485:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/03 10:58:36 b/ZRdBuX
[編集] 科学者・思想家
科学者としては人体解剖学・化学・地質学・植物学・光学(『色彩論』)についての

著作および研究がある。ゲーテの植物学や色彩論は形而上学的思弁と密接に関わり、

これを自然哲学とみなす論者もある。

科学史的に注目される研究としては次のものが挙げられる:

動物解剖学:動物ですでに知られていた間顎骨(前顎骨、切歯骨)がヒトにもあることを発見した

(1784年)。また頭蓋骨が脊椎の変形に由来すると考えた。
植物変態論(1790年):植物の形態には大きな違いがあるが基本デザインは

共通であるとし「原植物」の概念を提出した。特に花の各器官は葉の変形であると考えた。

形態学(Morphologie)という用語を最初に用いたのもゲーテとされる。このようにゲーテは

相同性概念による生物形態学の最初期の研究者であり、また進化論的思想を抱いていた

といえる。

色彩論(1810年):ニュートンの光学的色彩論に対する批判は的外れであるが

(あくまで現代科学の常識と照らし合わせた場合において)、色彩論においては光学のみでなく

感覚に関する研究も重要であることを強調した点は評価される。→:ゲーテの色彩論参照

政治家としてのゲーテはヴァイマル公国の宰相として産業の振興を図るとともに、

イェーナ大学にシラー、フィヒテ、シェリングら当時の知識人を多数招聘し、

またヴァイマル劇場の総監督として

シェイクスピア・カルデロンらの戯曲を上演し、文教政策に力を注いだ。





486:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/03 10:59:45 b/ZRdBuX
[編集] ゲーテと音楽
ゲーテの詩や戯曲などには、多くの作曲家が曲を付けたが、ゲーテ自身の音楽観は

保守的なものであった。たとえば歌曲については、ゲーテは民謡を理想としており、

カール・ツェルターやヨハン・ライヒャルトらの曲を好んだ。
一方、フランツ・シューベルトの『魔王』についてはまるで理解できなかった。

シューベルトの友人ヨーゼフ・シュパウンが1816年に『魔王』ほか数曲を手紙とともに

楽譜を送ってきたときには「まったく感動」せず、ろくに見ずに送り返してしまった。

もっとも、シューベルトの死後の1830年4月24日に『魔王』を聴いた時にはこれまでの評価を改め、

「全体のイメージが眼で見る絵のようにはっきりと浮かんでくる」と評価した。



487:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/03 11:03:36 b/ZRdBuX
著作
『アネッテ』(1767)(Annette)詩集。
『新詩集』(1769)(Neue Lieder)詩集。
『鉄手のゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン』(1773)(Götz von Berlichingen
mit der eisernen Hand)。戯曲。単に『ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン』、『ゲッツ』とも。
『若きウェルテルの悩み』(1774} (Die Leiden des jungen Werthers)小説。『若きヴェルターの悩み』
とも。
『タウリス島のイフィゲーニエ』(1787)(Iphigenie auf Tauris)戯曲。単に『イフィゲーニエ』とも。
『エグモント』(1788-89)(Egmont)戯曲。
『雑詩集』(1789)(Vermischte Gedichte)詩集。
『トルクワト・タッソー』(1790)(Torquato Tasso)戯曲。単に『タッソー』とも。
『ライネケ狐』(1794)(Reineke Fuchs)叙事詩。内容から『狐裁判』という邦訳もつけられていた。
『ローマ悲歌』(1795)(Römische Elegien)詩集。
『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』(1796)(Wilhelm Meisters Lehrjahre)小説。
『ヘルマンとドロテーア」(1798)(Hermann und Dorothea)叙事詩。
『ファウスト 悲劇第一部』(1806)(Faust, der Tragödie erster Theil.)戯曲。
『親和力』(1809)(Die Wahlverwandtschaften)小説。
『色彩論』(1810)(Zur Farbenlehre)論文。
『わが生涯より・詩と真実』(1811)(Aus meinem Leben: Dichtung und Wahrheit)自伝。
『イタリア紀行』(1816-17)(Italienische Reise)紀行文。
『西東詩集』(1819)(West-östlicher Divan)詩集。
『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』(1821)(Wilhelm Meisters Wanderjahre)小説。
『情熱の三部作』(1827)(Trilogie der Leidenschaft)詩集。
『ファウスト 悲劇第二部』(1831)(Faust, der Tragödie zweyter Theil.) 
モーツァルト歌曲『すみれ』K.476(モーツァルト唯一のゲーテ詩による歌曲)

[編集] 日本におけるゲーテ


488:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/03 11:13:25 b/ZRdBuX
アイザック・ニュートン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション, 検索
サー・アイザック・ニュートン(Sir Isaac Newton, ユリウス暦:1642年12月25日

- 1727年3月20日、グレゴリオ暦:1643年1月4日 - 1727年3月31日)は、イングランドの

ウールスソープ生まれ。イギリスの錬金術師・自然哲学者(物理学・天文学)・数学者。

近代の大科学者の一人と評されている。



489:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/03 11:15:34 b/ZRdBuX
[編集] 人物

1672年に王立協会のために作った6インチの反射望遠鏡のレプリカ主著"Philosophiae

Naturalis Principia Mathematica"「自然哲学の数学的諸原理(プリンキピア)」

(1687年7月5日刊)のなかで万有引力の法則と、運動方程式について述べ、古典数学を完成させ、

古典力学(ニュートン力学)を創始。これによって天体の運動を解明した。またゴットフリート・

ライプニッツとは独立に微積分法(流率法)を発明した。光学において光のスペクトル分析などの

業績も残した。ニュートン式反射望遠鏡の製作でも有名である。(なお、反射望遠鏡の発明者だとする

伝記は誤り。)

ニュートンは、地球と天体の運動を初めて実験的に示し、太陽系の構造について言及した。また、

ケプラーの惑星運動法則を力学的に解明した一人であり、天体の軌道が楕円、双曲線、放物線に分かれる

ことを示した。また、光の粒子説を唱えたことでも知られている。また、白色光がプリズム

混合色であるとして色とスペクトルの関係について唱えた。虹の色数を7色だとしたのも彼である。



490:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/03 11:17:22 b/ZRdBuX
他にも、ニュートンの冷却の法則、二項定理の証明、運動量および角運動量の保存の法則の端緒をつけ、

空気中での音速や恒星の起源などについて言及した。(なお現在の視座では多くが不正確なものであり、

正しく完成させたのは後世の学者たちである。)


[編集] 略年表

ウィリアム・ブレイクによるニュートン  万能の幾何学者として描かれている1668年 - (25歳)学位を取得
1669年 - (26歳)ケンブリッジ大学のルーカス教授に就任する。
1672年 - (29歳)王立協会会員になる。
1687年 - (44歳)「自然哲学の数学的諸原理(プリンキピア)」刊行する。
1699年 - (56歳)造幣局長官に就任する。
1701年 - (58歳)国会議員に選出
1703年 - (60歳)王立協会会長に就任される。
1705年 - (62歳)ナイトに叙せられる。
1710年 - (67歳)グリニッジ天文台監察委員長に就任する。
1727年 - (84歳)死去。ウェストミンスター寺院において国葬。
墓碑銘(アレキサンダー・ポープ)

「自然と自然の法則は夜の闇に横たわっていた 神は言い給うた、『ニュートンあれ』、

すべては光の中に現れた」


[編集] 生涯


491:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/03 11:19:29 b/ZRdBuX
[編集] 生涯
以下は簡略したニュートンの人物伝である。より詳細はen:Isaac Newton (in depth)(英語)を参照。

1642年、イギリス、現在のリンカーンシャー州のウールスソープ-カールスターワース

(Woolsthorpe-by-Colsterworth) に産まれた。ニュートンが産まれる3ヶ月前に父親が死去し、

二年後に母親はニュートンを祖母に預けて新しい夫の元へと去ったため、祖母に育てられた。

幼少時は体も小さく、内向的で目立たぬ子で、友人達の格好のいじめの的であったが、

あるとき自分をいじめた少年と喧嘩をして、それに勝つことが出来た。そのことをきっかけに

以後自分に対する自信をもち、勉強においても才能を伸ばしていったとされる。ニュートンは

いわゆる神童であった。

1655年にグランサムのグラマー・スクール入学、1661年には彼の叔父に当たるウィリアム・

アスキューが学んでいたケンブリッジにあるトリニティーカレッジに入学する。

当時の大学での講義はまだアリストテレスの説に基づく物であったが、ニュートンはデカルトやガリレオ、

コペルニクス、ケプラーといった当時のより進んだ物理学者達によるアイディアを好んで学んだ。

1665年に二項定理を発見し、数学の理論の構築を始め微分を発見し後に微分積分学へと発展することになった。

1665年に学位を取った直後、ロンドンでペストが大流行し、予防策として大学が閉鎖されたため、

ニュートンは故郷のウールスソープへと帰り、その後2年間、微分積分学と光学、

重力についての研究を行った。この1665年後半から1666年の一年半でニュートンは彼が生涯に成し遂げたほとんどの

研究の成果を出しているため、驚異の一年半とも呼ばれる。しかしそれぞれの発表は

かなり後のことになる。



492:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/03 11:22:22 b/ZRdBuX
ニュートンがリンゴの木の下に座っているときに、リンゴが木から落ちるのを見て

万有引力を思いついた、という有名な伝記があるが、これはニュートンの家の窓から

リンゴの木が見えることから作られた話である。しかしこれは以後のニュートンを知る人が、

彼が如何に日常に起きることに関心を持ち、そこから理論への着想を得ていたかという

彼の賢さを表すものとして作られたのだと言われている。例えば同時代の作家ウィリアム・

ストゥークリの書いた Memoirs of Sir Isaac Newton's Life に1726年4月15日にニュートンと

会話したことについて述べられている。"when formerly, the notion of gravitation came

into his mind. It was occasioned by the fall of an apple, as he sat in contemplative

mood. Why should that apple always descend perpendicularly to the ground, thought he to

himself. Why should it not go sideways or upwards, but constantly to the earth's centre."

また、後にヴォルテールは彼のエッセイ Essay on Epic Poetry (1727)のなかで彼がニュートンの姪に聞いた

話として「アイザック・ニュートンは庭仕事をしている際に、リンゴの木からリンゴが落ちるのを見て、

彼の重力に関する最初の発想を得た」と言う逸話を紹介しているが、真偽の程は明らかではない。

リンゴの木ではなくトイレで気づいた説がある

493:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/03 11:24:49 b/ZRdBuX
1667年にケンブリッジ大学の教授となり、その歳に「無限級数の解析

(De Analysi per Aequationes Numeri Terminorum Infinitas)」を書く。

(刊行1671年)また論文「流率の級数について(De methodis serierum

et fluxionum)」を発表する。

ニュートンとライプニッツはそれぞれ独立に、異なった視点から微分積分法を発見した。

優先権をめぐって四半世紀にも及ぶ熾烈な争いが展開された。ニュートンの発表は

ライプニッツよりも遅かったが、1666年に(ライプニッツより早く)発見していたのだと主張した。

後世、ライプニッツの考案した記号の方が理にかなっているため勝利を収めた。

ニュートン式の記号はもっぱら(力学などで)読みやすくするために利用されることもある。

ニュートンはこのことで自分が考案した微分積分法を、何らかの方法でライプニッツが盗んだと思い込み、

この後25年間の長きに亘ってライプニッツと微分積分学の発見者の名声を争って法廷闘争を行っている。

1669年にケンブリッジ大学のルーカス教授職に就いた。

晩年の彼は、聖書研究や錬金術の実験などに没頭していたことがわかったため、

後世に「神学者」「最後の錬金術師」と呼ばれる場合もある。晩年、「二つの聖句の著しい

変造に関する歴史的記述」を著すが、イギリス国教会からの弾圧を恐れ、生前には発表しなかった。

(1754年刊) 1689年、下院議員になるが、政治には興味が薄いためか殆ど発言をしなかった。

なお、議会での唯一の発言は「議長、窓を閉めて下さい」である。




494:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/03 11:25:59 b/ZRdBuX
1696年には造幣局長官にもなっていた。このとき非常に熱心に職務に当たったらしく、

在職中は偽金造りが激減した。(偽金製造シンジケートの親分を捕らえて裁判にかけ、

死刑にしたというエピソードが残されている。)また銀貨の金貨に対する相対的価値の設定において

市場の銀の金に対する相対価値を見誤り、よりも低く設定したため銀貨が溶かされ金貨と

交換されるという現象が起こり図らずしもイギリスが事実上の金本位制に移行する原因となった。


局に勤めてからは錬金術に没頭し一切の科学的研究を行っていない。彼の業績は96年までの

53年間に発表されたものである。



495:488からニュートン
07/01/03 11:28:27 b/ZRdBuX
[編集] ニュートンによる科学革命

ニュートン自身が所有していたプリンピキア第2版 訂正した跡があるニュートン以前の

正統的な科学は、物事の発生する原因を明らかにすることに力点が置かれていた。

たとえば、ルネ・デカルトは惑星の運動や重力の原因を、空間に充満しているエーテルの

圧力差や渦動によるものとする「渦動仮説」で説明を試みている。また、ケプラーは地磁気が惑星の

運動の原因であるとする重力理論を展開している。

これに対し、ニュートンは万有引力の法則を提示するに留め、それをもたらす原因について

論じる必要はないとする、新しい科学的方法論を提示している。神の行いについて、

人間の持つ理性では理解不能であるという思想を背景としたものであったが、このような方法論は

合理的な近代科学の礎となるものであった。



496:488からニュートン
07/01/03 11:30:19 b/ZRdBuX
[編集] 科学以外の側面
ニュートンは科学の分野での功績が著しいが、それ以外の分野でも足跡を残していることは

あまり知られていない。


[編集] 宗教家として
アイザック・ニュートンはユニテリアンや古代キリスト教の異端アリウス派の信仰者であった

という。 イエスを父なる神と同一視せず、被造物(人間)とみる同派の教義は理神論にたつ

ニュートンにとって受け入れやすいものであったのであろう。 ニュートンは聖書研究にも

科学研究と同様の情熱をつぎ込んだ。

Isaac Newton's religious views

[編集] 錬金術師として
アイザック・ニュートンは造幣局長官の地位に隠れて、錬金術の研究を行っていた。

近年、ニュートンの錬金術ノートを競売で手に入れた経済学者のケインズは「最後の魔術師」

という表現でニュートンを表している。 20世紀になって、ニュートンの遺髪の分析により

水銀が検出されたことはニュートンの錬金術にかける情熱を実証することとなった。

Isaac Newton's occult studies

[編集] 外部リンク


497:488からニュートン
07/01/03 11:47:12 b/ZRdBuX
ダビンチ、ゲーテ、ニュートン等は、フリーメーソンのメンバーであると言われている。

そして、フリーメーソン系の最後にシュタイナーが来ていて、

人智学が誕生していると思われるが、、、。

498:以下、フリーメーソン
07/01/03 11:56:33 b/ZRdBuX
フリーメイソン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
(フリーメーソン から転送)
移動: ナビゲーション, 検索

出典の明記:この記事は、執筆の際に参照した文献の出典を明記していないか、あるいは
信頼のおける資料を使用せずに書かれた独自調査になっている可能性があり、内容の信憑性に
疑問が持たれています。ノートで議論を行うか、参照した資料を参考文献の節にて列挙した上で
執筆してください。

フリーメイソン(Freemason、英語表記の場合)とは、会員同士の親睦を目的とした友愛団体。

イギリスで発生し世界中に派生した男性の入社的秘密結社(自身は非公開団体といっている)

である。「フリーメイソン」は厳密には各個人会員の事を指しており、団体名はFreemasonry

(英語表記(フリーメイソンリー)、フランス語表記Franc-maçonnerie(フランマソヌリ)、

ドイツ語表記Freimaurerei(フライマウレライ))である。以下、英語的な発音である

「フリーメイソンリー」と記載する。なお本項目は「フリーメイソン」と記述しているが、

日本グランド・ロッジの記述は「フリーメイスン」となっている。



499:白カラス黒ヒツジ
07/01/03 11:59:02 b/ZRdBuX
[編集] 概要

[編集] 特徴
フリーメイソンリーは、原則として国や州を単位とする、グランドロッジと呼ばれる本部があるものの、

全体を統制する総本部はない。グランドロッジはプロビンシャルグランドロッジ(Provincial

Grand Lodge)やディストリクトグランドロッジ(District Grand Lodge)と呼ばれる県・地域支部、

および直轄に管理されるロッジで構成され、県・地域支部はロッジと呼ばれる支部から構成される。

ただし、活動規模の小さい国や地域では、グランドロッジは県・地域支部を置かず、ロッジを直接管理している

場合もある。 ロッジは他のロッジから認証されることで、フリーメイソンのネットワークに加入できる。

あるロッジの振る舞いがフリーメイソンリーとして不適切であった場合、他のロッジはそのロッジへの

認証を取り消すことで排除する。正式名称がFree and Accepted(承認された)

Masonsであるのはそのためである。


[編集] 入会条件


500:ひまだよ とむ
07/01/03 12:00:02 Yd2bhk+h
これは 頭の中から導き出して書いているのかい?

501:入会も儀式は、時代によって異なる。人権は?
07/01/03 12:02:32 b/ZRdBuX
入会条件
入会資格として何らかの真摯な信仰を要求しており、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教

(以上アブラハムの宗教)の信徒はもちろん、仏教徒などであっても入会できるが、

無神論者は入会できない。また、そのほかの入会資格としては、成年男子で、世間での評判が良く、

高い道徳的品性の持ち主であり、健全な心に恵まれ、ロッジ会員の投票によって

承認されることが必要である。

自分が会員であることを隠す必要はなく、会員であることを公言している人もいる。ただし、

自分以外の会員について、その者が存命中に会員であることを公表することは禁じられている。

入会勧誘も内規で禁じられている為、興味を持った人が自発的に門を叩いてくれるのをひたすら

待っている状態だという。

女性は入会することができないが、第3階級マスター・メイソンの妻、母、姉妹だけが入会できる

外郭団体イースタン・スター(The International Order of Easten Star)が存在する。

女性が入会できない理由は、石工職人団体時代において、女性が男性と同様の作業を行う

ことが困難であったことに起因しているのではないかとされている。


[編集] 誤解


502:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/03 12:04:23 b/ZRdBuX
誤解
よく誤解されることだが、フリーメイソンリーはユダヤ系の団体ではない。確かに旧約聖書が

儀式に用いられ、ソロモン王など古代ユダヤ系の人物が儀式に登場するが、それだけでユダヤ系、

ユダヤ教的とは言えない。また、ユダヤ人の参加も当然あるが、それは団体の理念が

人間の理性や博愛にあり(超宗教的思想)、特に近代以前の社会において、日常における

ポグロムの恐怖からの解放を願うユダヤ人にとっては、積極的に参加する動機が十分にあった

ことによると考えられる。





503:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/03 12:08:29 b/ZRdBuX
起源
中世イギリスの石工職人のギルド説
1360年、イギリス、ウィンザー宮殿の建造の際に徴用された568人の石工職人達が、

数百年に渡るゴシック建築のプロジェクトを遂行しようとしたときに自分たちの権利が他の

職人に渡らないようにギルドで暗号を使用したのが始まりとされる。
テンプル騎士団説
1118年、聖地エルサレムへの巡礼者の保護を目的としてフランスで結成された

テンプル騎士団の生き残りが建てた組織と言われている。元々の設立メンバーは9人の騎士だが、

貿易や金融業で莫大な富と権力を有し、巨大組織となった。しかし14世紀、当時のフランス王フィリップ4世の

奸計により壊滅状態に追い込まれ、スコットランドに逃げ延びた騎士達がその地で新たに作った組織がフリーメイソンリーである。


ソロモン神殿建築家説
ソロモン神殿の建築家を起源とする説はフリーメイソンリーの自称である。
ソロモン神殿建築の際の建築家棟梁ヒラム・アビフが建築家集団を「親方」「職人」「徒弟」
からなる集団に分け、それぞれに秘密の合言葉や符牒を定めて仕事に当たらせた。
神殿伝説を参照。
近代設立説
起源がどこにあるにせよ、現代のフリーメイソンリーの発足を1717年6月24日のロンドン、
グランドロッジの結成とする説。これはこのロッジの結成を転機としてフリーメイソンリー
自体の性格が大きく変貌を遂げるからである。そして1723年、ジェームズ・アンダーソンにより
「フリーメイソン憲章」が制定された。



504:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/03 12:11:32 b/ZRdBuX
[編集] 歴史
ゴシック建築のブームは400年ほどで終わってしまい、石工職人団体としてのフリーメイソンリー
(実務的メイソンリー)は衰えたが、イギリスでは建築に関係のない貴族、紳士、知識人が
フリーメイソンリーに加入し始めた(思索的メイソン)。それと共に、フリーメイソンリーは
職人団体から、友愛団体に変貌した。石工団体であった頃の名残りとして、内部の階位制度には
「徒弟 (Entered Apprentice)、職人 (Fellow Craft)、親方 (Master Mason)」の呼称が残っている。

友愛団体に変貌したフリーメイソンリーはイギリスから、ヨーロッパのフランスやアメリカ大陸に広まった。
国際的な互助組織も無い時代だったので、会員であれば相互に助け合うというフリーメイソンは、
困難を抱えた人間にとって非常にありがたかった。ウィーンのロッジに加入していたモーツァルトは同じフリーメイソンに
借金の無心をしたり、伝を頼っている。フリーメイソンが広まった時期は、絶対王政から啓蒙君主、市民革命へと
政治的な激動が続く時代でもあり、特定の宗教を持たずに理性や自由博愛の思想を掲げるヨーロッパ系フリーメイソンリーは、
フランス革命の当事者達の多くがフリーメイソンであったため、しばしば旧体制側から体制を転覆するための陰謀組織とみなされた。
アメリカにおいても独立戦争にかかわった多くの会員がいたにもかかわらず同様であった。なお、自由の女神像はフランス系
フリーメイソンリーとアメリカ系フリーメイソンリーの間に交わされた贈り物であった。

フリーメイソンに関する歴史やテンプル騎士団との関係については、M.ベイジェント、R.リー
『テンプル騎士団とフリーメーソン』(林和彦訳、三交社刊)に詳説されている。


[編集] 人物
有名なフリーメイソンとして以下のようなメンバーがいる。(生年順)


[編集] 日本


505:時代によって各々は違うが、これも同じこと
07/01/03 12:14:02 b/ZRdBuX
[編集] 人物
有名なフリーメイソンとして以下のようなメンバーがいる。(生年順)
[編集] 日本
西周 (1829年生)[1]
津田真道 (1829年生)[1]
林董 (1850年生)[1]
幣原喜重郎 (1872年生)[要出典]
吉田茂 (1878年生)[要出典]
米内光政 (1880年生)[要出典]
鳩山一郎 (1883年生)[1]
東久邇宮稔彦 (1887年生)[1]
沢田教一 (1936年生)[1]
坂本龍馬 (1835年生)が入会していたという説[要出典]もある。
[編集] アメリカ
ベンジャミン・フランクリン (1706年生)[2], [3]
ジョージ・ワシントン (1732年生)[2], [3]
トーマス・ジェファーソン (1743年生)[要出典] - フリーメイソンではなかったという説[4]もある。
ジェームズ・モンロー (1758年生)[3]
アンドリュー・ジャクソン (1767年生)[3]
ジェームズ・ブキャナン (1791年生)[3]
マシュー・ペリー (1794年生)[要出典]
ジェームズ・ポーク (1795年生)[要出典]
アンドリュー・ジョンソン (1808年生)[3]
ジェームズ・ガーフィールド (1831年生)[3]
マーク・トウェイン (1835年生)[2]
ウィリアム・マッキンリー (1843年生)[3]
バッファロー・ビル (1846年生)[要出典]
ジョン・フィリップ・スーザ (1854年生)[要出典]
ロバート・ピアリー (1856年生)[要出典]
ウィリアム・H・タフト (1857年生)[3]
セオドア・ルーズベルト (1858年生)[2], [3]
ヘンリー・フォード (1863年生)[2], [3]
ウオレン・G・ハーディング (1865年生)[3]
ガットスン・ボーグラム (1867年生)[要出典]
ダグラス・マッカーサー (1880年生)[5], [6]
フランクリン・デラノ・ルーズベルト (1882年生)[2], [3]
ハリー・S・トルーマン (1884年生)[3]
タイ・カッブ (1886年生)[要出典]
カーネル・サンダース (1890年生)[3], [7] - 会員を装った非会員という説[要出典]もある。
デューク・エリントン (1899年生)[2]
ルイ・アームストロング (1901年生)[2]
カウント・ベイシー (1904年生)[2]
ジョゼフィン・ベーカー (1906年生)[要出典]
ジェラルド・R・フォード (1913年生)[2], [3]
ナット・キング・コール (1919年生)[要出典]
[編集] ハワイ
カメハメハ4世 (1830年生)[5]
カメハメハ5世 (1834年生)[5]
カラカウア (1836年生)[5]
[編集] カナダ
ジェームズ・ネイスミス (1861年生)[3]
[編集] フランス
ヴォルテール (1694年生)[2]


506:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/03 12:18:02 b/ZRdBuX
[編集] フランス
ヴォルテール (1694年生)[2]
ドゥニ・ディドロ (1713年生)[要出典]
ジャン・ル・ロン・ダランベール (1717年生)[要出典]
ラファイエット (1757年生)[2]
アンリ・ド・サン=シモン (1760年生)[要出典]
ナポレオン・ボナパルト (1769年生)[要出典]
ルイ・ブラウン (1811年生)[要出典]
フレデリク・バルトルディ (1834年生)[2]
[編集] ドイツ
ゴットホールト・エフライム・レッシング (1729年生)[2]
ヨハン・クリスティアン・バッハ (1735年生)[3]
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ (1749年生)[2]
ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ (1762年生)[要出典]
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン (1770年生)[2]
ルイ・シュポーア (1784年生)[要出典]
ジャーコモ・マイアーベーア (1791年生)[要出典]
フェリクス・フォン・ルックナー (1881年生)[要出典]
[編集] イタリア
ジャコモ・カサノヴァ (1725年生)[2]
フィリッポ・ブオナロッティ (1761年生)[要出典]
ジュゼッペ・マッツィーニ (1805年生)[要出典]
ジュゼッペ・ガリバルディ (1807年生)[2]
ロベルト・カルヴィ (1920年生)[要出典]
[編集] オーストリア
フランツ・ヨーゼフ・ハイドン (1732年生)[2]
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト (1756年生)[2]
[編集] イギリス
ジョージ4世 (1762年生)[2]
エドワード7世 (1841年生)[2]
アーサー・サリヴァン (1842年生)[3]
アーサー・コナン・ドイル (1859年生)[2], [3] - 『シャーロック・ホームズの冒険』の
「赤毛組合」において、ホームズが依頼人をフリーメイソンだと言い当てるシーンがある。
ウィンストン・チャーチル (1874年生)[2]
エドワード8世 (1894年生)[2]
ジョージ6世 (1895年生)[2]
ジェームズ・ゴールドスミス (1933年生)[要出典]



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