07/10/28 23:57:49 h7gONlTE
>>585
>もしかしたら直らない性格だとの諦めで、ぎりぎり許せる範囲であると「許容」してもらっただけなのかもしれませんが。
そうしないことのメリットもあると思うので以下に綴らせて貰います。
>確かにおっしゃることはわかるんです。
>ただあなたはそれを実行できますか?きれい事としてではなく実行ができるのか。
なるほど、言い方に問題があったかもしれません。
私にはそれがきれい事であるという認識がないところが違うかも知れません。
私にとってそれは一種の身を守る手段であるとも言えます。
>相手がこちらを「馬鹿にしてる」と判断するに足る材料がそこにあったとき、俺はそこまで我慢強くはないんです。
>またあなたはそのスタンスにてレスをし続けられますか?しんどくて嫌になりませんか?
勿論、嫌ですね。
取るに足らないと判断した相手に取るに足らないという態度で反論するのも同じく嫌になりませんか?
全ての「馬鹿にしてる」と判断するに足る相手を相手にするのはそれ以上の苦痛なのではないでしょうか?
また、その時に発した言葉や不毛な論争があなたを判断する材料に用いられる可能性も考慮に入れる必要があります。
その時の論争の中にも勿論有益なものがあることもあるでしょうが、敢えてそこにレスをする事で
でも言っているようにフレーム(激情的なレスなど)に対して反応することで、
あなたの時間やあなたへの評価に対して、大きな損失が生じるように思うのです。
反応することで新たなフレームが生れてしまう可能性もあります。
参考:ネチケットガイドライン(URLリンク(www.cgh.ed.jp))
↑結構便利です。参考にしてみるとあなたの目的に役立つかも知れません。
慣習というのは時に無益な場合もありますが、長い時間残るだけの意味を持つ集積された知識である場合もあり、
そう言う場合、非常に便利であったりするので侮れませんね。
私の場合、意識してそういうものに興味を向けないと、その存在にすら、気づけない事も多いのが困りものです。
>「継続は力なり」という言葉がありますが、継続できて初めてそれは力となります。
なるほど、継続は力なり、私にとっても座右の銘の一つです。
シェイクスピアの戯曲の一節に汚い牡蠣の中にも真珠があるというような内容の言葉があるのですが、
同じく、受け入れられないものの中にも得るべきものがあるのではないか?
ということを考えているので何事に対しても、最低一度は得るべきものが考えてから判断するように心がけています。
>上記の俺の言うことを理解してくれた人は、実際に自分でそのきれい事をやってみて根を上げられたのです。
私の場合は根を上げた結果こうするようになったと言う方が近いかも知れませんね。
>俺はこういう人に向けて何かを語りたい。俺の価値観を受け入れてくれる人を大事にしたい。
私も理解し合えた瞬間には砂漠で水を得たような感動を覚えます。
あなたの目的は普遍性を持ちうる優れた動機だと思いますし、尊敬に値します。
>俺は理解を求めているのです。理解してもらうためにと理解してもらう内容のレベルを下げる気は一切ありません。
>ですので、現在の俺の求めるレベルの理解を得れない相手にまで理解させようとは考えてはいないのです。
それは同じ意見です。
勿論、そこは一切下げる必要はないでしょう。内容のレベルは一切下げる必要はないと思います。
そもそも、芸術や思想の分野で明らかなように優れた内容はある種の簡潔性と分かりやすさと美しさを兼ね備えているものですし、
あなたの言葉には理解されうる優秀さがあると思います。
>>590の指摘ですが
これは私のミスでしょう。直接の論拠として出したのではなく、一つの例えとして出したつもりだったのですが、考え直して見るにあなたにとってこれに関しては不要だったようです。申し訳ない。
>一度あなたはあなたであなたが正しいとする規範でここでがんばってみませんか?
>長期でやりとりしていると、お互いがもっと見えてくると思いますし。
そうですね。実生活と本業に差し障りがないように気をつけながらやれるか、前向きに考えてみます。
>反論みたいになって申し訳ありません。
いやいや、得る物も再確認できるものもあってとても有意義でしたし、
あなたを突き動かしているもの触れたことで私自身も動かされた様にすら感じます。
それでは良い夜を