08/05/24 15:01:33 0
<山中英子>は元々は横浜福富町の赤線の女、所謂売女、淫売だ。
一日20人もの客相手に股を開き、時々本気でよがる事も合ったそうだ。
結局、店の金に手をつけて追われる身となり、哲也の父となる男に拾われた。
暫らくは幸せな時を過ごすが、それも束の間、長年の淫売家業が祟り、
体調を崩し医者へ駆け込むも、梅毒との診断を受けその幸せも長くは続かなかった。
治療に専念するも時は既に遅く、当時英子の腹には妊娠6ヶ月の子が宿っていた。
十分な生活費も無く診察代の支払いも儘ならぬ家計は、さらに圧迫される。
食うよりも梅毒の治療が先という判断のもと、英子は身重の体で数人の男に
再度体を開く事となる。 当時ペニシリンは梅毒治療薬としては値段は高く、
売春でもしなければ十分な治療は受けられない。そんな中でも何とか治療を終え、
子を生む事となる。しかし、結果は明らかで、生まれた子供は先天性の梅毒キャリアー
つまり、生まれた子、哲也は悲しいかな生まれ持っての脳梅毒児なのである。
これがきっかけで、神にも縋る思いで創価学会員となったことは云うまでも無い。