05/12/01 12:25:42
相澤秀禎「スターづくり40年の“つもる話”」1 岡田有希子
サンミュージックをつくった当時30代後半だった僕も今年75歳です。
よい区切りだと思い、昨年の創立記念日後の12月1日、社長を息子に譲り、
僕は会長に退きました。
40年近くを振り返ると、悲喜こもごもの思い出が頭をよぎるが、岡田有希子
の自殺はこれ以上ないショックでしたね。
彼女がわが社のビルの屋上から身を投げたのは、デビューして2年、わが家
から通っていた高校も卒業し、独立し一人住まいを始めた5日後のことでした。
今だから言えるが、おそらく無垢(むく)な体だったでしょう。
それが初めて一人の男性(峰岸徹)に恋をして身も心も委ねたが、彼は遊びだった
んですね。他に女性がいた。
実は僕は自殺する前夜の有希子の行動をすべて把握しているんです。というのも、
彼女が前夜使ったタクシーの運転手が、僕に報告してくれたから。
それによると、彼女は成城に住む峰岸の自宅前で一晩、一人寂しく過ごしていた。
そして朝5時頃、タクシーを拾い、東京駅の八重洲口に向かっている。
彼女は泣いていたそうです。
八重洲口の手前で車を降りた彼女はそれから、一人住まいのマンションに帰った。
でも、諦めきれなかったんでしょう。自宅でガスで自殺を図った後、連絡を受けた
ウチのマネジャーに会社に連れてこられた。
その知らせを受けた僕が会社に戻るまでの間に、屋上から飛び降りてしまったのです。
これも当時は明言しませんでしたが、実は彼女は一冊の日記風のノートを残している
んです。事件後、僕もそれを読みました。
その日記には相手の峰岸の名前ももちろん、彼女がうれしくて喜ぶさま、真綿で首を
絞められるような心情が克明につづられていた。
最後の「さようなら」の言葉は遺書のようでした。ノートは今も会社の金庫に眠っています。
【2005年3月7日掲載】(日刊ゲンダイ)