06/01/29 15:32:22 q+edTTIz
小学校5・6年の時、同じクラスに知的系の障害児がいた。
児童は家が近所の者同士で仲良しグループを作って遊んでいたのだが、
ある日私のグループは担任の教諭に呼び出されある事を頼まれた。
『○○君もお前たちのグループに入れて一緒に遊んでやってくれ。』と・・・
話を聞くと誰も○○君と遊ぶ人がいないと親が担任に訴えたようで、
比較的家が近い私のグループが遊び相手として選ばれたようだ。
しかも教諭は私のグループ全員の親に電話でこの趣旨の依頼をしていた。
最初の頃は付き合いで遊んでやっていたが、次第にいつの頃からか避けるようになっていった。
○○君もそのことに気付いていたのだろうか、放課後は仲間の家の前で待ち構えるようになっていった。
そこまでされるとこちらもウザったさが募り、遊びに行くときには○○君が知らない秘密の場所に集合するようになった。
次第に堂々と避けるようになり、集合場所もより遠くになっていった。
『今日は危うく○○に捕まりそうになったけど、間一髪で巻いてきたぜ!』と武勇伝を披露するまでになっていた。
もうここまで来ると、私達の親も教諭も、そして○○君の親も我々が意識的に避けていたことに気付いていただろう。
しかし、教諭は何も言わなかったし、○○君の親も諦めたのだろう。
私の母はいつも夕食の時に『今日は何をして遊んだの?』と聞いていたが、この頃は何も聞かなくなった。
いつものグループと遊んでいることは承知していたし、食事時に気まずい雰囲気になる話題は避けたかったのだろう。
私のグループは学習塾で成績のいいクラスに入っていたので、親はそれ以外のことには興味を示さなかった。
教諭も寝た子を起こすようなことはしたくないだろうし、敢えて話題にすることもなかった。
結局、障害者が強引に健常者の輪に割って入って来ても誰も幸福にはならない。
むしろ双方が嫌な思いをするだけだ。
嫌な思いをしないためにも『嫌なものは嫌!』と社会にはっきりと言える雰囲気を作る必要があると思う。
今の障害者に対する過保護政策は結果として健常者、障害者の双方を不幸にしている。
所詮は住む世界が違うんだからそれぞれの世界で仲間を探せばいい。
大学を卒業し、社会に出るようになってまた障害者と接する機会が多くなった。
中には同じ趣味を持つ障害者もいたが、相手に交際する気は無いとはっきり伝えて親交を断っている。
こうすることが双方にとって最も幸福なことなんだと経験から学んでいるからだ。
バリアフリーも結構だが、相手の気持ちにまでバリアフリーを強制してはいけない。
人間関係の構築なんて自由が基盤になっているものだ。
健常者、障害者の双方の幸福のために、交際を断られた障害者は素直にそれを受け止めて欲しい。
そして決して差別だと騒ぎ出さないでもらいたい。