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>>633
三上がヨガ伝道師の相川圭子と対談しただけで激怒してたよ
No.203 それは違うんじゃないの! 投稿者:朝子(えりこ。) 投稿日:2010年02月10日 (水) 22時16分
インタービューを読んで、深入りしちゃいけない世界のような気がしました。
三上さんではなく対談相手のかたの言葉だけど・・・。私には理解できませんでした。
理解できない私が悪いと言われれば、それまでなのかもしれませんが。うまく言葉に出来ないけど。
・・・「いつ、どんなふうに」って、死は自分で決められるのです。十分満足に生きたら、きっとできるでしょう・・・
この言葉に違和感をおぼえました。
死は自分で決められないですよ!!!
十分に生きる?それも自分では決められないでしょう。
悟ればできる?そんな言葉、私は怖いです。
私は片田舎のごく普通の家庭で育ち、ごく普通に日本古来の神様を信じています。
特別な宗教ではなく八百万の神様。
子供が生まれれば、近所の八幡様の氏子になる。初詣は神社に行き。
でも、法事は檀家になっているお寺さんに頼む。
そんな感じで。むしろ信心深いほうだと思いますが。でも、わからないものはわからない・・・。
去年、友達が亡くなりました。まだ20代でした。
幼い子供を残して癌で亡くなった彼女の死。
「いつ、どんなふうに」なんて、自分で決めたものじゃなかったですよ。勿論、十分じゃない。
けれど、彼女は聡明で思慮深い人でした。
残していかなければいけない我が子を大切に想うからこそ、子供に自分の記憶を残してはいけないのではないか。
そう思って、病室に子供を寄せ付けなかったそうです。
どんなに辛かったことでしょう。
でも、自分が亡くなった後のことを考え。自分の感情を抑えて考えぬいて。新しいお母さんが来るだろうことも想定して。
その人のためにも、子供の幸せのためにも自分の記憶を残すまい。そう決めていたんだそうです。
入院中に仲良くなった友達には、自分の死さえ知らせないでと言っていたと聞きました。
十分すぎるぐらいまわりのことを考えて。でも、十分な寿命をまっとうできなかった彼女。
そんな人もいるんです。そんなこともあるんです。
嫌です。さよならなんて言葉・・・。読んでいて、なんだかせつなかったです。