14/07/24 08:01:54.92 0
(>>1の続き)
そもそも自民党と連立を組む公明党は集団的自衛権を行使するためにはあくまで憲法改正が必要になるとの立場を崩していない。
その公明党が今回の政府案を容認した背景には、公明党にとってはこれが個別的自衛権の範疇を出るものではないと解釈すること
が可能なものだったからに他ならない。しかし、理由は定かではないが、安倍政権、いや特に安倍首相自身がどうしても「集団的自衛権
の行使が可能になった」と言いたがっている。ならば、「当てはめ」次第でそう強弁しても嘘にはならない事例を、内閣法制局と公明党が
合作したというのが、今回のいわゆる「集団的自衛権の容認」劇の核心だったということになる。
確かに法律家の目から見るとそれが真実なのかもしれない。しかし、両日の安倍首相や岸田外相の答弁を見る限り、政治家の多くは
あの場で横畠氏と世の法律家の間で交わされた暗号通信の意味を正確に理解していないことは明らかだ。恐らくそれは質問をしていた
岡田克也議員や福山哲郎議員についても言えることだろう。だとすると、いくら官僚や法律家が法律の専門的な知識を駆使して、実際は
解釈改憲とは言えないような代物を作っておきながら、解釈改憲と言いたくてしょうがない政治家には「解釈改憲をしたと言っても差し支え
はありませんよ」と甘言するような二重構図は非常に危険と言わねばならない。
なぜならば、最後に法律を作るのは国会であり政治家だ。そしてそれを行使するのも政治家がトップを務める内閣だし、トップレベルで
外交を行うのも政治家だ。実際に安倍首相や岸田外相らは、自分たちの勝手な理解に基づく集団的自衛権容認論を海外で大っぴらに
喧伝し始めている。内閣法制局と公明党幹部の間の阿吽の呼吸などというものが、外国政府との外交交渉の場で通用するとはとても
思えない。官僚が悪知恵とも呼べるような手法で、政治家の要求と法律との整合性を保てるような玉虫色の解を出して、とりあえずは
その場を収めることができたとしても、その効力はせいぜい霞ヶ関から半径1キロの範囲程度にしか及ばないだろう。そして、何よりも
まず、主権者である国民がそのような法律家たちの解釈を共有できていなければ、何の意味もない。
やはり課題となるのは今回の「疑惑の解釈改憲」に基づいて、実際の法律の整備が行われる時だろう。もし今回の閣議決定が
横畠長官が答弁したようなものだとすれば、新しく整備される法律は個別的自衛権の範疇をはみ出すものは一切できないということ
になる。そのような法律家の認識を前提として法案審議が行われるか、現時点では内閣法制局官僚の手の平の上で踊ったような形
になっている政治家が主導権を握り、自分たちの理解する閣議決定の解釈に則った法律を作ってしまうか。そして、それをメディアや
われわれ国民が許すのか。今、それが問われている。
ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が、集団的自衛権容認の核心とは何だったのか、何か今後の課題となるかなどを
気鋭の憲法学者木村氏と議論した。
●木村 草太 (憲法学者 首都大学東京准教授)
1980年神奈川県生まれ。2003年東京大学法学部卒業。同大学法学政治学研究科助手を経て06年より現職。著書に『憲法の創造力』、
『憲法の急所』、『平等なき平等条項論』など。共著に『憲法学の現代的論点』など。
(終わり)