【足利尊氏】 南 北 朝 【後醍醐天皇】at WARHIS
【足利尊氏】 南 北 朝 【後醍醐天皇】 - 暇つぶし2ch68:無名武将@お腹せっぷく
06/06/04 14:37:56
ちなみに、南北朝きっての名将として楠木正成が名の成したのは、
その生き汚さ故である。もちろん褒め言葉としての生き汚さだ。
正成は生涯、寡勢で多勢を相手に渡り合ったが、
しかし、あくまでゲリラ戦に徹し、正面衝突は避けた。
そして何より、自軍の将兵を生き延びさせて、生き続けることで戦い続けた。
特攻戦術を取ったのは、生涯に唯一度。 湊川で「敗死した」時のみである。
軍事拠点としては脆弱な京へのこだわりを捨てよという、
勝つための正成なりの献策を、朝廷は取り上げることなく、ただ不帰の特攻を命じた。
正成は河内の悪党に戻ってもいい潮時だったのに、あえて死地に赴いた。
だが、その死には自分の美学以外の意味は見出さなかったのではないか。
だからこそ、息子を帰らせたのではないか。あくまで妄想だが。
ただ、玉砕をよしとし、息子にそれを望むならば、どうして湊川で息子を帰らせたのか?
それは、息子には生きて勝者となってほしい。というか、
負けとは死ぬことであり、死ぬとは負けであり、
無意味な負け戦で自分が死ぬのは勝手だが、
そこに息子まで道連れとしたくなかったのではないか。
実際、戦術的にも戦略的にも、湊川は無意味な戦いだった。
かつて北条軍相手に繰り広げたような足止め戦術さえもかなわない地勢で、
ましてや足利軍を食い止めることも不可能な状態で、
結局はさしたる損害を与えることもかなわず、ただ楠木正成という名将だけが失われた。
結局大覚寺朝は京を捨てざるを得なかったが、
それなら最初から献策に従っておれば人的損害は避けられたわけで、
そのあたり、湊川を美談とする(おもに俗に言うウヨク的な)方たちは、
どう解釈しているのか、別に知りたくはないが、ただどうせ何も考えてないんだろうな、とだけ思う。

...桜花なんて作ってる暇があるならもっとまともな戦闘機作れよ。
戦意高揚は結構だが、その高まった戦意をヒロポン中の鉄砲玉の量産ではなく、
勝つための、あるいは敗北の損害を最低限に抑えるための、頭脳の育成に向けるべきだったはずなのだが。


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