06/10/01 14:37:40
もし後醍醐による建武の新政がなかったら、当時すでに武士の相続制度の矛盾が噴出していたので、自然に鎌倉幕府が無力化して戦国時代が早めに来ていたと思う。
ただし、天皇御謀反の時点では鎌倉幕府は行き詰まりつつも末期的ではなかったので、鎌倉幕府は本来もう少し延命可能だったはず。
そして日本中が新政に期待する中、後醍醐が無策だったことと、尊氏が仕事の途中で寿命が来たことで、全国の武士を味方に付けて中央集権化するチャンスを両者ものにできなかった。
中央集権国家か地方割拠、日本史上けっこう大きな分岐点だったと思う。