07/08/29 22:12:04
崇仁殿下が双子かどうかは占いには関係しませんが
お子様のことを親の時柱からみることがあるのでお子様に関係してきます。
(実はそのことで使いたいと思っています。)
公式発表の19時35分だと12月は真っ暗なはずなので
女官の話が本当ならばお生まれになったのはたぶん午後4時台ですね。
そうすると時柱は戌ではなくて酉になります。
これはかなり違います。
私個人の感想ですが、女官の記憶のほうが正しいのではないかと思います。
(長くなるため占断の根拠略ですみません。)
双子だったと仮定して、どちらが先にお生まれになったのかですが
1874年の12月13日に双子の場合は、先に産まれた方を兄・姉とするという
太政官布告が出されていますので先に殿下、後から妹君とされる山本静山尼
ではないかと思います。
山本静山尼の公式の生年月日は大正5年(1916年1月8日)ですが
この日で命式を出すと、たとえ無理やりお寺に入れられたとしても
尼僧として静かにお過ごしになれたとは思えません。
悪い意味で金銭の動きが大きい命式です。
河原氏の「悲劇の皇女」も見たのですが、やはり崇仁殿下の生時に関しては
同じ内容の記述があって、木村賀寿子元女官には念には念を入れて確認されたようです。
このことについて何かご存知の方がいらっしゃいましたら教えていただけませんか。